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2023.06.11 春川インマヌエル教会 礼拝メッセージ (日本語字幕)設定ー日本語
題目: ただ聖書
本文: 黙示録22:18-21


(序論)
1.エレミヤ42-43章 - エジプトに降りていくことに決めたユダ民族 → エレミヤに祈りを頼む(あなたの神にいのってください。)/ エジプトに降りて行ってはいけないと命令する神様 ⇒ 民族の指導者たちの言葉(私たちの神はエジプトに降りてはいけないとあなたには言っていない)/ エレミヤを嘘つき野郎とつくりたてる指導者たち
       2.私に損害となる時はあなたの神/ 私の利益のためには私の神 - 聖書の表現(高慢な者)
→ ⑴謙遜な者 - 神様/ 福音/ 御言葉を愛する → 幸いな人복   ⑵傲慢な者 – 自分/ 利益(金)/ 快楽を愛する → 呪いの人


1.聖書の霊感論
⑴定義 - 第2テモテ3:16 → 聖書を記録することにあたって各著者によって誤謬なく自身の御心を書こうと保護され干渉された事
⑵方法上区分  ①機械的霊感説 - 著者はただ機械的に神様の御言葉を書き取る役割だけしたという見解
               ②動力的霊感説 - 聖霊の霊感が著者の知的能力と霊的知覚能力を向上させるのに不過
               ③有機的霊感説 - 聖霊が著者の性品と気質、そして才能を活用なさるが、聖霊の感動で罪の影響を取り除き神様の御心を少しの誤謬もなく記録されたという見解
⑶範囲上区分  ①思想霊感説 - 聖書の思想は霊感されたけど、言語は人間記者の選択に従ったという見解
               ②部分霊感説- 一部(教理や道徳的部分、新約聖書)は霊感されたけど、他の部分は (歴史や科学、連帯的な部分、旧約聖書)は霊感されなかったという見解 
               ③完全霊感説 - 聖書全体が霊感されたという見解
               ④逐字霊感説 - 聖霊の一点一画までも(用語、文体、表現) 霊感されたという見解

2.聖書の完全性
⑴権威性 - 聖書は必ずそれ自体権威なので信じなければならない。聖書には神様から附与された ‘神的権威’がある。この権威は聖書自体によって証明される。
→ 天主教見解(教会がいくつかの啓示によって聖書を引出したものである。従って聖書が権威を持つことは、教会がその権威を認めたからである.)
⇒ 自由主義者の見解(聖書は自体権威によって順服されるのではなく、理性的証明によって受納されるので理解できないものは何も信仰の対象にされない。権威の基準は人間の理性である。)
⑵必要性 - 聖書は人間の救いと救いを受けた者の生き方に絶対的に必要な唯一で完全な手引書である。
→ 天主教見解(教会を聖書より上に置く。御言葉を解釈する最終的権威が教会にある。)
⇒ 神秘主義者の見解(信者の心の中に発する聖霊の御言葉である‘内的な光’を聖書よりもっと重要に考える)
⑶明瞭性 - 聖書はそれ自体だけで救いの真理を明白に伝達してくれている。それゆえに司祭や教会に依存する必要はない。
→ 天主教見解(聖書はそれ自体として真理が明瞭に表れていないため解釈する必要がある。それゆえに一般個人が聖書を解釈できず、ただ教会だけが聖書を解釈できる。)
⑷充足性 - 聖書はそれ自体に個人と教会の霊的、道徳的要求を完全に充足させている。
→。天主教の見解(信仰と行為の法則で聖書だけを持って不十分なので、聖書以外にも伝統などが補充されないとならない)
⇒ 神秘主義者たち(聖書に加えて特別な体験や能力と同じく特殊啓示が絶対的に必要)

3.聖書の正典性
⑴マルキオンの聖書 – A.D.90年異端であるマルキオンが作り上げた聖書  → 旧約と新約が異質的な内容を含んでいると主張/旧約を除外、新約にもルカの福音書とパウロの手紙だけを聖書に確定  ⇒ 新旧約聖書の正典を確定する必要性を台頭
⑵旧約聖書 - A.D.90年 ラビたちの集会ヤムニア公会議で39巻の旧約聖書を正典と採択された。/ これを初代教会も受容
⑶新約聖書  ①採用原理  a.使徒性 – 記録者が使徒なのか? 使徒と密接な関連性を持っているのか?
                          b.内容性 – 主題が主イエス・キリストを証拠としているのか?
                          c.普遍性 – 教会が全般的に認定しているか? 普遍的な控訴力があるのか?
                          d.霊感性 – 神様の感動で記録されたという明白な証拠があるのか?
             ②A.D.1世紀末にすでに何巻か正典と公認 / 2世紀末には現存の4福音書が権威あるものと採用
               → A.D.397年カルタゴ宗教会議で27巻の新約聖書を正典と採用 

4.新旧約の聖書
⑴記録者   ①第1著者(第2ペテロ1:21) - 神様   ②第2著者 - 36名(旧約28名、新約8名)
⑵期間 - 約1600年(旧約 1500年, 新約 100年)
⑶分類  ①旧約(ヘブライ語、アラブ語) - 39巻, 929章, 23142節  
        ②新約(ギリシャ語) → 27巻, 260章, 7956節 
          ⇒ 計 66巻, 1189章, 31098節
⑷記録目的  ①罪人と悟るため(ローマ5:13)     
             ②イエス・キリスト信じて救いを得るため(ヨハネ20:31)
             ③救いの祝福を知らせるため(1ヨハネ5:13)   
             ④聖徒の生活原理を知らせるため(2テモテ3:16-17)
⑸聖書に対した姿勢 
①切なる心で(箴言2:4)              ②黙想すること(詩篇1:2)             ③聖霊の照明(1コリント2:10)
④従順する心で(1コリント4:20)         ⑤毎日読むこと(使徒17:11)

5.本文 – 66巻の聖書の最後の章、最後のメッセージ  → 聖書の終わり
⑴18-19節
①もし、これに付け加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
②もし、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書の書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる
→ なぜ付け加え取り除くか?(聖書に足らない部分があると錯覚/ 聖書に必要ない部分があると錯覚성) 
⇒ すべての異端たちの錯覚
▶伝道弟子の聖書観 - 正確無誤である神様の唯一な御言葉である聖書
①いくら気になっても聖書が大体言う事は大体理解すればいい
②いくら価値無いことに見えても聖書が重要視して言う事は最も重要な事と理解すること
③聖書の御言葉は必ず聖書の御言葉で解釈
⑵20節  
- これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」→ アーメン。主イエスよ。来てください。(マラナタ信仰)
⑶21節
- 主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。
→ すべての者   ①すべての人  ②救いを受けた人  ③聖書を正確無誤である神様の御言葉と信じる人/ マラナタの願いを持った人

(結論)  
1.宗教改革者たちの5つのただ   ⑴ただ聖書   ⑵ただイエス   ⑶ただ恵み   ⑷ただ信仰   ⑸ただ栄光
2.春川インマヌエル教会の5つのただ   ⑴ただ聖書   ⑵ただイエス   ⑶ただ信仰   ⑷ただ聖霊   ⑸ただ証人