母親が教会に入ってから多宝塔や印鑑が家に増えていった。

宝石店着物店絵画展いろんなことに足を運んでは買ってくるようになった。

その他にも摂理といってはくるあらゆる献金を必死になってかき集めてしていてはいつも電卓とにらめっこしている親だった。


いつの日か家を抵当に預けてお金を借りてきて献金した。

そのときは89年前後の話だったと思う。

借りたお金は 2,3年後に教会が返してくれるといって借りてきたのだ。

その3年後に母親が聞いたらなんと40年ローンで返金されていくというシステムになっていた。

自分たちが死んだ後にも終わらないローン。

親は怒鳴り込みに行ったけど

そこは 教会。

うまい言葉で了解されてしまった。


それでも 懲りない母親は言われれば献金をよくしていた。

極めつけは父親が会社を退職したときにもらう退職金を父に相談せずに全部献金してしまったこと。


相当な額になる。老後はそれだけでも食べていけるくらいだったはず。

父親は戦後の貧しさで14才から同じ会社一本で働いてきた。

やっと少し休めると思った矢先にそんな金はもうとっくに無いといわれたという。

そして 働けといわれた。


その後も献金し続けて借金が増えていった。

今 父親は75歳。

今も町場の工場で 借金の返済と生活の為に働いている。

母親も糖尿病を患いながらイライラしながら 働いている。

どんなに体が悪くても働かないと借金の返済ができないからだ。

イライラするのも当然だ。


いつも思うのだが 教会のどこに幸せを感じて生きているのだろうか?

母親は子供たちのためとはよく言っていたが

それは 聞きはいいけど

自分の手で自分の首を絞めているのと同じだと思う。

40年ローンの話が出たとき、

なぜそこで教会に疑問を持たなかったのか不思議でならないが

母親が教会に入ったとき

お祈りしたら神様の声が聞こえて

”大丈夫だ”

といったという。

教会に疑問をもっても違うと思ってもそんな出会いをもっている人は

なかなか心が変わりにくいかもしれない。

否定できない世界があるのだろう。

でも聖書を読むと出てくるのは

偽キリストにもそうやってお声を受けて入っていく人もいるというのだ。


今もなお要求してくる献金。

やらないと負債を感じるとはそこに神様からの救いは感じられない。

馬鹿な私でも神様はそんな神様ではないことくらいわかるのに

献金の金額で子孫がよくなる?

献金の回数で子孫が幸せになれる?


今 親にいいたいのは そんなに献金したけど 結局

娘は統一教会やめたということだ。