長良川鉄道の美濃太田駅を降りてから、まずは駅前通りをまっすぐ歩いて案内看板の通り太田宿を目指します
中山道とは
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が整備した五街道の一つで江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経路で結ぶ街道です。
- 東海道
- 中山道
- 日光街道
- 奥州街道
- 甲州街道
これが5街道
中山道にある宿場町は全部で69宿。
そしてここ太田宿は江戸から数えて51番目の宿場町になります
ただ、宿駅は一度に設置されたわけでなく、中山道が確定したは参勤交代が制度化された1630年代と言われます。
美濃太田駅から約1キロほど歩きますよ。
昔から何故か複数のカーブミラーが気になって笑
駅からまっすぐ歩いてきたら見事に木曽川に突き当たった感じでそのまま眺めのいい木曽川沿いの堤防を散歩。
目的地までずっと堤防を歩こうと思っていたけど、お休み処の看板が見えたので何となく立ち寄って見ることに。
川側から中を見学しつつ建物を通り抜けたら中山道の通りに出てきた
あのまま堤防を歩いてたらもしかしたらこの風景は見なかったかもしれないので気の向くままに移動してきてよかった
古い街並みを残してくっていうことは本当に大変だと思います。
ここにもミラー笑
そして何だか立派なお屋敷が。
こちらは太田宿の脇本陣、林家住宅です。
本陣、脇本陣の役割
本陣は天皇のおつかいである勅使や公家、大名、公用で旅をする幕府の役人などが宿泊するための施設です。
本陣だけに宿泊できない時に予備にあてたのが脇本陣。
本陣と脇本陣は一般の旅籠と違って、特権として門、玄関、書院を設けることができました。
本陣は原則として一般客の宿泊は認められなかったが、脇本陣は大名や勅使などの利用がない時には一般客でも宿泊ができたそうです。
タイミング…!!
個人所有建物で何年か前までは隣の母屋で実際に生活されてたそうですが、今は別の場所にお家を建てて引っ越されてるんだとか。
国の文化財に指定されてしまうと個人の持ち物でも好き勝手イジれないって、何だか複雑
脇本陣の一般公開エリアは小さなお庭がメインだけど、水琴窟がありました!
水琴窟の音って何とも言えない澄んだ心地の良い音色なんですよねぇ
柄杓でお水を汲んで(この写真では写ってないけど)右下にある水琴窟にかけ流したら綺麗な音が聴けます
他に人がいないのをいいことに何回も水をかけて楽しませてもらいました
私がこちらを訪れた時は一人だったのもあって、受付のおばさまがつきっきりで色々説明してれた笑
私と入れ替わりくらいのタイミングで一人の年配男性が見学に入って来られたのでお礼を言ってそのまま外へ。
改めて外観。
立派なうだつが上がってますね
本陣は門と看板があったんですが、どう頑張っても太陽の位置、日差しの関係で写真がうまく撮れなくて断念してしまった
古い街並み、建物、風情があっていいなぁと思う反面、管理にかかる手間を思うとこうやって見学できるように維持されてる事に感謝しかないです
宿場町の雰囲気が何となく好きなのでまた今度は違う場所にも行ってみたいと思います