最近、弟くんの進学先を考えていますが、いろんな方のブログを拝見してそれぞれの親御さんの物の見方の物差しがあるんだろうなと思います。


そこら辺のことを書こうと思いましたが、弟くんのことだけ書くといろいろ誤解を生みそうなので、私自身の人生観を紹介してから次回に弟くんの進学先について思うところを書きたいと思います。


自分自身で言うのもなんですが、私は良い大学を卒業して良い会社に入りました。そこそこ活躍しましたが、出世街道を歩んでいるわけでなく、年齢的にも日の当たる部署から退きつつあります。


私よりも仕事で成果を出しつつ私と同じように日の当たらない同期がおり「何で評価されないんだ」との不服を聞くこともあります。


で、私自身、待遇に不服があるかというとさほど不服はありません。給料をしっかり頂けてるというのもあるのですが、自分自身で心理的に困ってないんですよね。


出世している同期を見ると大変そうです。そのポジションにつきたいかというと正直つきたくないです。頑張って貰ってるなと思います。


暴論かもしれませんが、出世しないことに不服があるかないかは自分自身の幸せの物差しが会社からの評価にあるのかなと思います。


仕事に人生をかけている人は仕事で評価されないと自分の人生が評価されていないと感じるのでしょうが、私の人生の物差しは仕事にないのかなと気づき始めました。


まだ上手く言えませんが、子供の成長も嬉しいですし、妻さまが嬉しそうにするのも嬉しいです。それが満たせることが自分にとっての幸せの物差しなんだろうと思います。


仕事で評価されると妻さまは喜んでくれます。仕事で上手く行った話を妻さまは喜んでくれます。そんなとき私も嬉しいです。


でも、妻さまが喜んでくれるのは仕事関係だけでもなく、私が嬉しいと感じるのは仕事関係だけではないと思ってます。退職後は仕事関係からは達成感は得られないでしょうし。


自分の幸せの物差しを自分で持つ、こんなことを若い社員に言うと仕事へのやる気をなくしてしまうのかもしれませんが、初老の身としてはこんな心持ちでも良いのかなと思っています。


「我がなすことは我のみぞ知る」と坂本龍馬は詠みましたが、「我の幸せ我のみぞ知る」というところかなと思います。