高2で白血病、1年4カ月間の入院 生活…18歳タレントが闘病語る
2014.1.13
【病と生きる】タレ ント・友寄蓮さん(1 8)
タレントの友寄蓮(ともよせ・れん)さ んは高校2年生のとき、急性リンパ性白血 病と診断され、通常より長い約1年4カ月 間の入院生活を送った。今年3月には抗が ん剤治療も終了する。闘病経験を語ること で、同年代に命を守るとは何かを考えても らいたいという。(文・日野稚子)
◇
平成23年9月頃、咳(せき)が止まら ない、風邪のような症状が始まりました。 体もだるく、近所の病院で受診したら、 「風邪」。でも、息切れして階段が上れな い、鼻血が一日中、止まらない、試験中の ような大切な場面で気を失うように寝てし まう。こんな状況で別の複数の病院に行っ ても、やはり風邪との診断でした。
よく知る小児科で受診するとすぐに採血 検査をしてくれて。結果は、芽球(がきゅ う)(白血病細胞)が33%(正常の場合 は検出されない)、母から「大きな病院へ 行く」とだけ言われたんです。風邪でこん なに体調がつらいなんて私がおかしいのか とも思っていたので、ようやく原因が分か るんだと安心感もありました。
急性リンパ性白血病との診断。16歳と 子供だったため、小児向けの白血病治療と 決まりました。大人とは違い、子供は強い 抗がん剤を使う長期入院。1年間は入院す ることや副作用などの説明も受け、11月 から治療が始まったんです。
抗がん剤は芽球と一緒に良い細胞も壊す ため、一定の回復を待ち、次の抗がん剤と いう治療の中で、とにかく体調の良いとき が全くない。39度台の高熱が1週間と か、帯状疱疹(ほうしん)で左半身が水ぶ くれになるとか、鼻血が8時間出続けるな ど、副作用という副作用は全て経験しまし た。顔が腫れ上がる「ムーンフェース」に なったら、鏡を見ても自分とは分からな い。
病院に泊まり、付き添う母を責めてばか りいました。抗がん剤に殺されると思うほ ど苦しくて心が折れ、3カ月目には看護師 さん相手に大泣きしたんです。千羽鶴をく れた友達は修学旅行中で、きっと笑って過 ごしている。何か悪いことをしたのか、神 様は罰を与え、私一人苦しんでいると思い 詰めた結果です。それを機に、看護師さん にも「つらい」と言っていいと分かり、心 を開くようになりました。
寛解に達したのは同時期でしたが、治療 計画は続行でした。長い寝たきり生活で、 24年6月には自力で起きることさえでき なくなってしまい、歩行訓練などリハビリ も始まりました。一方で、主治医の先生か らは退院後を見据えて、体調の良いときは 普通の女の子みたいに化粧して、外出着で 過ごすよう指導されました。病棟内の季節 イベントで、子供たちに紙芝居の読み聞か せをしたときなどは先生との約束通りに過 ごせました。
退院できたのは25年3月。高校は入院 中の提出物で卒業が認められたけれど、卒 業式には出られなかった。直前に病棟で仲 良しだった女の子が亡くなったショックも 重なり、家に引きこもりました。発病前は 明確な目標もなく、ぼんやり芸能界に憧 れ、タレント養成所に通っていたけど、熱 中するものがない。それでも卒業したら進 学して、と思っていたのが病気で一転し た。
でも、気づいたんです。入院中は明日死 ぬかもしれない死の恐怖があったけど、何 をしたらいいと悩むのは、未来への不安が 原因だと。闘病経験からの座右の銘は「明 日死ぬと思って今日を過ごし、未来を生き ると信じて今、努力する」。今は何をやっ ても楽しいし、自分に合う何かを見つける 努力の最中で、舞台やドラマへ挑戦する機 会をいただき、頑張っています。
将来的には医療支援の団体を立ち上げ、 治療中の人を支える活動や、命って何かを 考えてもらうきっかけづくりをしたい。薬 の副作用がひどくて、こんな苦しい思いを してまで乗り越える必要がある命なのか と、闘病中は前向きになることは一度もな かった。
でも、今は闘病を支えてくれた家族から 無償の愛が何かを教えられたとも思うんで す。病院の先生や看護師さんにも恩返しが できるとしたら、私が行動し、思いをかな えることなんだと信じています。
【プロフィル】友寄蓮
平成7年、東京都生まれ。23年11 月、急性リンパ性白血病と診断される。2 5年8月、タレント活動を開始。今月29 日から2月2日まで、笹塚ファクトリー (東京都渋谷区)で開催の舞台「THE 吉見麻美 公演vol.2 LOVEど きゅ~ん15(ichigo)」に出演。
2014.1.13
【病と生きる】タレ ント・友寄蓮さん(1 8)
タレントの友寄蓮(ともよせ・れん)さ んは高校2年生のとき、急性リンパ性白血 病と診断され、通常より長い約1年4カ月 間の入院生活を送った。今年3月には抗が ん剤治療も終了する。闘病経験を語ること で、同年代に命を守るとは何かを考えても らいたいという。(文・日野稚子)
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平成23年9月頃、咳(せき)が止まら ない、風邪のような症状が始まりました。 体もだるく、近所の病院で受診したら、 「風邪」。でも、息切れして階段が上れな い、鼻血が一日中、止まらない、試験中の ような大切な場面で気を失うように寝てし まう。こんな状況で別の複数の病院に行っ ても、やはり風邪との診断でした。
よく知る小児科で受診するとすぐに採血 検査をしてくれて。結果は、芽球(がきゅ う)(白血病細胞)が33%(正常の場合 は検出されない)、母から「大きな病院へ 行く」とだけ言われたんです。風邪でこん なに体調がつらいなんて私がおかしいのか とも思っていたので、ようやく原因が分か るんだと安心感もありました。
急性リンパ性白血病との診断。16歳と 子供だったため、小児向けの白血病治療と 決まりました。大人とは違い、子供は強い 抗がん剤を使う長期入院。1年間は入院す ることや副作用などの説明も受け、11月 から治療が始まったんです。
抗がん剤は芽球と一緒に良い細胞も壊す ため、一定の回復を待ち、次の抗がん剤と いう治療の中で、とにかく体調の良いとき が全くない。39度台の高熱が1週間と か、帯状疱疹(ほうしん)で左半身が水ぶ くれになるとか、鼻血が8時間出続けるな ど、副作用という副作用は全て経験しまし た。顔が腫れ上がる「ムーンフェース」に なったら、鏡を見ても自分とは分からな い。
病院に泊まり、付き添う母を責めてばか りいました。抗がん剤に殺されると思うほ ど苦しくて心が折れ、3カ月目には看護師 さん相手に大泣きしたんです。千羽鶴をく れた友達は修学旅行中で、きっと笑って過 ごしている。何か悪いことをしたのか、神 様は罰を与え、私一人苦しんでいると思い 詰めた結果です。それを機に、看護師さん にも「つらい」と言っていいと分かり、心 を開くようになりました。
寛解に達したのは同時期でしたが、治療 計画は続行でした。長い寝たきり生活で、 24年6月には自力で起きることさえでき なくなってしまい、歩行訓練などリハビリ も始まりました。一方で、主治医の先生か らは退院後を見据えて、体調の良いときは 普通の女の子みたいに化粧して、外出着で 過ごすよう指導されました。病棟内の季節 イベントで、子供たちに紙芝居の読み聞か せをしたときなどは先生との約束通りに過 ごせました。
退院できたのは25年3月。高校は入院 中の提出物で卒業が認められたけれど、卒 業式には出られなかった。直前に病棟で仲 良しだった女の子が亡くなったショックも 重なり、家に引きこもりました。発病前は 明確な目標もなく、ぼんやり芸能界に憧 れ、タレント養成所に通っていたけど、熱 中するものがない。それでも卒業したら進 学して、と思っていたのが病気で一転し た。
でも、気づいたんです。入院中は明日死 ぬかもしれない死の恐怖があったけど、何 をしたらいいと悩むのは、未来への不安が 原因だと。闘病経験からの座右の銘は「明 日死ぬと思って今日を過ごし、未来を生き ると信じて今、努力する」。今は何をやっ ても楽しいし、自分に合う何かを見つける 努力の最中で、舞台やドラマへ挑戦する機 会をいただき、頑張っています。
将来的には医療支援の団体を立ち上げ、 治療中の人を支える活動や、命って何かを 考えてもらうきっかけづくりをしたい。薬 の副作用がひどくて、こんな苦しい思いを してまで乗り越える必要がある命なのか と、闘病中は前向きになることは一度もな かった。
でも、今は闘病を支えてくれた家族から 無償の愛が何かを教えられたとも思うんで す。病院の先生や看護師さんにも恩返しが できるとしたら、私が行動し、思いをかな えることなんだと信じています。
【プロフィル】友寄蓮
平成7年、東京都生まれ。23年11 月、急性リンパ性白血病と診断される。2 5年8月、タレント活動を開始。今月29 日から2月2日まで、笹塚ファクトリー (東京都渋谷区)で開催の舞台「THE 吉見麻美 公演vol.2 LOVEど きゅ~ん15(ichigo)」に出演。