とある秋の日に、神社巡りに連れて行ってもらいました。
まずは、1ヵ所目~《天石門別八倉比賣神社》からです。
古墳が近くにあったり、山の上にあるので、下に駐車して階段を上がるのは大変だよ、と教えてもらったので、境内近くまで車を出してもらいました。
秋だから、落ち葉🍂いっぱいで、違う意味で怖かったです。

御祭神は八倉比売命。
天照大神の別名とされる神様です。

拝殿にご挨拶して、一枚斜めから撮らせてもらいました。
神明造檜皮葺の、立派なお社ですね。
こちらの神社も気延山が神様本体?とされています。

拝殿横(社殿奥?)から、奥の院へ。
石の階段に光がさして、神秘的な雰囲気になっていました。

石の階段を登っていくと…

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奥の院にたどりつきます。
(Wikipediaより抜粋)
奥ノ院・五角形の磐座:
社殿裏手へ約100メートル、標高116メートルで、丘尾切断型の柄鏡状に前方部が長く伸びた古墳で、後円部の頂上に五角形の祭壇が青石の木口積で築かれ、その上の青石の祠の中に砂岩の鶴石亀石を組み合わせた「つるぎ石」が祀られている。
一説には卑弥呼の墓であるという。
トトロとかいそうな雰囲気でした。
ちょっと遊びに来ました、では許されないような、神聖な場の空気です。
私たち以外に、人間はいないはずなのに、視線を感じるというか、一挙一動を見られている気分になりました。
あと、同行者さんが、隠し撮りをしてくれていたのですが、明らかに私ではない何者かが写し出されていました!
髪の長さから、骨格、着ている服までなんか違うし、手の大きさから性別まで変わってた!
私でありながら、今の私ではない存在がこっそり写しとられて、しまったのかもしれません。

参拝後は、近くにある大泉神社へ。
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(Wikipediaより抜粋)
摂社・大泉神社:
境内より北西約500メートルの山中に「天の真名井」と呼ばれる五角形の井戸があり、傍らの石積みの祠に祀られている。天文年間までは十二段の神饌田の泉であった。


水は少なめでした。
これは、煮沸必須ですかね…。
同行者さんが汲んでましたが、紐のついたバケツで汲むのは難しそうでした。
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一旦山を降りて、次の神社へ。
《伊魔離神社》
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(境内案内板より)
当八倉比賣大神御本記の古文書は、天照大神の葬儀執行の詳細な記録で、道案内の先導伊魔離神、葬儀委員長大地主神、木股神、松熊二神、神衣を縫った広浜神が記され、八百萬神のカグラは、「嘘楽」と表記、葬儀であることを示している。
わからんことがいっぱいです。
どんな神様かも謎ですし。

国府から西へ。
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こちらは吉野川市山川町の、《忌部神社》です。
(徳島市内にも忌部神社があります)

さぁっと雨が降って、雲が切れてきました。
ちょっと青空が見えています。

山川から帰る途中、車窓から見えた不思議な名前の神社に寄り道しました。
《多祁御奈刀彌神社》
ん?んん?元諏訪社て書いてある?

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(Wikipediaより抜粋)
創建年は不詳。
現在の社殿は1720年(享保5年)に建築された。
徳島藩主である蜂須賀家からの尊崇が高く、御例祭の際には参拝・代参していた。
1627年(寛永4年)には蜂須賀光隆が祈願し奇瑞を著した。
また、蜂須賀氏が参拝の際は、鮎喰川の出水に遮られることがあるため、徳島城から近い諏訪神社に分霊したとも伝わる。
同神社の社伝記によると、「光仁帝の宝亀十未年(779年)、信濃国諏訪郡南方刀美神社(現在の長野県諏訪大社)は、阿波国名方郡諏訪大明神を移遷し奉る」(『浦庄村史』)とある。
つまり、国譲り交渉で、武御雷神と争った建御名方神の本源地は、阿波国の名方郡諏訪村(旧高足(タカシ)郷)で、長野県の南方刀美神社(諏訪大社)は、記紀の成立後に、阿波から移遷勧請されたことが、神社の記録に遺っていた。

…これ、諏訪大社に行って確認してこい、っていうフラグですか?(笑)
そのうち、訪問するのでしょうが、まだ早いようです。
1日、たくさん神社参拝させてもらいました。