さっきの続き教えます。



2007年。
このシーズン前年と同じ成績の50勝32敗で終えレブロンは平均27.3得点6.7リバウンド6.0アシストでいつも通りの活躍でプレーオフに進みました。


そして一回戦はワシントン・ウィザーズを4連勝で勝ち抜き準決勝はニュージャージー・ネッツを4‐2で勝ちカンファレンス決勝で地区優勝のデトロイト・ピストンズも4‐2でまさかの勝ち抜き球団史上初のNBAファイナルへレブロンはプロ4年目で到達しました。
相手はサンアントニオ・スパーズ。
しかしここでキャブスの勢いは完全に止まってしまい4連敗であっさり敗退してしまいました。




2008年は成績が落ち48勝止まり。
レブロンだけは平均30得点7.9リバウンド7.2アシストでこの年もいつものように活躍はしましたがプレーオフでは準決勝で前年ファイナリストがまさかの敗退になってしまいました。




そして2009年。
キャブスは補強をし、球団史上最強って言っていいほどのメンバーが揃いました。
そして前評判通りの活躍を見せ球団史上最高勝率の66勝を挙げました。
そのレブロンは初のシーズンMVPを獲得し優勝大本命と言われました。



しかし蓋を開けてみれば準決勝で敗退。
第2戦の残り試合1秒1点リードされた場面。
スローインからボールを受けたレブロンは振り向きざまで3Pとを決め歴史に残る大逆転勝利をした試合があったけど4‐2で負けてしまいました。


でも俺は負けておいてよかったと思います。
理由はレブロンのアゴに腫瘍がある状態で数ヵ月我慢した状態で試合をしていました。



今は腫瘍を摘出する手術を受け回復をしています。



来シーズンこそ優勝してほしいなぁ。
続きを教えます。



前年20勝ほどしか勝ち星が挙げられなかったキャバリアーズに怪物高校生であったレブロン・ジェームスが入ったことで旋風が起きました。



ユニフォームとチームのロゴを一新しまさにレブロンを中心に新たなスタートの一歩を踏んだのです。



そして迎えたレブロンとしては初のシーズン、相手は強豪のサクラメント・キングス。
その相手に堂々としたプレーを魅せこの試合25得点6リバウンド9アシスト4スティールとデビュー戦としては史上に残る記録です。
その後は着々活躍しルーキーシーズン1試合平均20.9得点5.5リバウンド5.9アシストで平均20得点5リバウンド5アシスト以上の記録をルーキ-シーズンに出したのはマイケル・ジョーダン、オスカー・ロバートソン以来史上3人目の快挙になります。
このシーズンは新人王に選ばれます。



しかしチームの成績はあまりよくなく38勝しか挙げられずプレーオフに行けませんでした。



しかしルーキーシーズンはまわりを驚かせ前評判を大きく上まるものでした。



そして2年目は27.2得点7.4リバウンド7.2アシストで前年より成績をアップさせましたがこのシーズンもプレーオフに到達できずに終わってしまいました。



さらに3年目で平均得点31.4と30得点超になり得点王になりプレーオフも初めて到達します。



しかしカンファレンス決勝まで上がったところで敗退してしまいます。



そして2007年へ…






今度はNBAのお話をしたいとおもいます。



今回はクリーブランド・キャバリアーズ。
キャバリアーズは通常キャブスと略されて呼ばれていました。



キャバリアーズは昔っから地味であまり目立たないチームでした。
90年代にマーク・プライスなどの選手がいて57勝を2回ほどあげたことありますけどカンファレンス決勝一回到達しただけです。





そして2003年。
ある怪物高校生がキャブスに入団しました。
それはこの人。








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レブロン・ジェームス。




レブロンはまさに怪物でした。
身長203cm体重109kg。
この体格でパスはうまくリバウンドは取り、スティールもうまく3Pも打てブロックもでき、そして破壊力満点のダンク。
すでに高校生の域を遥かに越えていました。









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このときですでにジャンプ力が94cmありました。





高校のオールスターゲームで前代未聞の3年連続でMVPを獲得しました。




そんなレブロンの高校4年間の平均記録は25.5得点、8.0リバウンド、5.0アシスト、3.2スティール、1.6ブロックでまさに縦横無尽の成績でした。






そして2003年のドラフト。
クリーブランド・キャバリアーズにドラフト1巡目1位で指名され“レブロン伝説”が始まりました。