前回からの続き
今回の出来事と10数年前に起きた出来事と何か似てない?
と友達がポツリと言った。
起こった内容は違うが、私にとっては忘れられないくらいに悔しい思いまでしたトラブルでした。
私自身を犠牲にした出来事になったからです。
その時も今回も、全く同じようなタイプの相手なのです。
何が一緒か?
「謝らない」「認めない」
どちらも、相手に非があるのは明らかです。
前回は相手が会社の同僚だった為に、穏便に済ませたかった気持ちが強かった。
後々の事も考えてしまうのです。
事を大きくしたくなかった。
素直に謝って自分が起こした事を認めれば、丸く収まるはずが・・・
謝らない。
これには、温厚な私でもキレましたよ。
一緒には働けないと、私の方が見切りをつけ仕事を辞めたんです。
何で?私が身を引かなければならなかったのか?
その時は正直分からなかったですが、若かったのもあるのか・・・性格的なものもあったのか、喜怒哀楽が激しかったのは覚えています。
精神がやはり不安定になってしまい正常な判断が出来なかった。
過剰が発生してしまうのだから、普通ではないんですよ。
たぶん。
紫微斗数を学んだ今では、私の優しさがマイナスに働いたんだと思いました。
相手の方は、上司からも「謝りなさい」と助言されたみたいですが、変わらずでした。
それでも謝れない人もいるんです。
もちろん、謝れないのですからトラブルになった処理も責任も果たさずです。
双方でのトラブルなのでしたが、相手がこのようなタイプでしたので、トラブルの処理も放棄したために、会社が代わりにトラブルを引き受け処理や手続きは私が行い金銭的にはプラマイ0でしたが・・・
(少しはマイナスになったかも)
行政的な?面倒くさい方法を使って個人的に書類を書いたり調べたり手続きを行ったりと・・・
専門的な分野まで関与する羽目になったのです。
辞めるつもりがなかった会社を、急遽辞める事になったのは私の優しさでもある。
これが、紫微斗数の生年化科と自化科の象意の過剰に当てはまるんではないか?と思ったんです。
かなりのストレスになったし、人間不信にも陥りました。
なるべく穏便に済ませたいし、揉めたり争いなるのは絶対に避けたい。
この気持ちが強く出てしまい、相手にもこの気持ち分かって欲しいと思う。
相手が自分とは考え方が同じ人とは限らない。
相違する人がいる事をその時は考えられなかった。
離れれば丸く収まると思っていたのかもしれません。
自分の事も相手に対しても過剰になってしまい、冷静な判断が出来ずに妥協したり許す気持ちを拡大解釈してしまう。
そして、生年化忌と自化忌の象意の過剰も私の拘りが出てしまうのだと思いました。
「素直に謝って誠意を尽くすのが常識」みたいなセオリー(拘り)が私にはあって、これを相手にも要求してしまう。
拘りのゴリ押しですね。
これも過剰に反応するから厄介なのです。
無情な人もいるから、トラブルが起きたら自分とは違う人なのだから淡々と処理しなさい。
感情も同情心も無用である。鬼にならなければいけない事もある。
自己犠牲はしなくて良い。
それには、平常心を保つ事が大事だと。
このような事が今回も起こったのです。
友達が前回のが解消出来ていないから、繰り返されるんだよー!
何でそうなったか?を理解出来てれば、同じような事は起きないハズ。
と気付きをくれたんです。
理解出来るまで(自分の中で解消されるまで)同じような事は繰り返される。
そして、このような相手は人の助言や感情や優しさが分からない人に当てはまる訳で・・・
痛い目にあって損したり苦しみを味わった時に、自分の過ちに気付ける人なのかもしれないとも思うのです。
こちらも、経験して学ぶ人なのかもしれませんね。
だから、私の優しさは無用なのかもしれないとも感じたのです。
今回も、同じように苦しみもがいてしまった部分もあるが・・・
トラブルの対処方法を模索しながら、冷静な判断が出来るようにと平常心を保つ心がけの日々です。
無に近い感情を身に付けるのは、結構シンドいです。
前回と同じく専門分野にも関わる羽目になり、一ヶ月間で知らなかった知識を得たのである。
経験して知識が身につくタイプなのかもしれません。
困った人にアドバイス出来るような、貴重な経験もさせられました。
波乱だった5月の運勢もあとわずかです。
6月の運気で流れは変わるのでしょうか?
トラブルが解消出来ればよいのですが・・・