夫であるキャンドル氏が、記者会見を行いましたね。
全内容を見てはないのですが・・・
夫婦関係や不貞を起こす原因について書きたくなってしまった。
特に、女性が不倫に走る原因として書きたいと思ったので・・・
偏った考えになっているかもしれません。
男性と女性とでは、不倫する理由が全然違うもの‥‥‥と私は捉えています。
まずは
一部の切り取り会見を見て、思った事として・・・
コミニケーションの大切さ。
このひと一言に尽きると‥‥
この、コミニケーションには、良い事も悪い事も向きあって話が出来る関係か?
夫婦の営みを疎かにする人もいるが、営みがない自体コミニケーションが取れていないとも言えます。
営み=コミニケーションの一つでもあります。
とても重要です。
何故?
営みとコミニケーションが結びつくかと言うと、触れ合う行為から安心感や信頼関係が得られるからです。
介護職にいた時に、高齢者様の手を握ったり背中をさすったりして身体の一部に触れたりすると、笑顔になって穏やかになられたり心を開いて下さります。
(子供も同じですよね)
身体の一部に触れただけで、安心感や信頼関係も得られるのですから。
夫婦生活の中で『精神性』と『身体的繋がり』どちらかの考え方になると思いますが
※二つの考え方ができるのが理想です。
二人共に同じ考え方であれば、問題は起こりにくいかもしれませんね。
これが、初めから噛み合っていないと、夫婦生活が長くなってくる段階で、徐々に亀裂が生じてくるんではないか?と思っています。
会見の中で、キャンドル氏本人がだんまりで話を避けていたと語っていました。
私の旦那様もだんまりするタイプです。
これは、相手(妻)にとっては大変な苦痛でしかありません。
だんまりになる方の傾向として『精神性』を大事にする傾向があるのです。
※精神性で繋がっているから営みをしなくてもいいと考える方もいらっしゃいます。
相手の事を責めずに見ないふりしたり、思いやる気持ちを重要視してしまう人。
確かに相手を思っての行動なのですが、本人は心の何処かにしまい込んでいるので、健全ではありません。
人によっては、溜め込んで大爆発する方もおられます。
自己犠牲になっているので、見えない何処かでストレスにもなってしまっている事もあります。
キャンドル氏の話を聞いていると、結婚の馴れ初めから『精神性』を重要視していた事が読み取れます。
現に、ボランティア活動なども行っていらっしゃいますから、助けたいとかの気持ちの方もあられたと思います。
愛がごっちゃ混ぜになった感覚?
彼女を含め子供の事も大切に考えていらっしゃった。
※姓も子供の為に変更したみたいです。
精神性を重要視するタイプに多いのは、相手を思いやる事がコミニケーションになってしまっているので、本人はそれで満足になってしまっています。
他の事は、疎かになっている事もあります。
育児など、他の事を寄り添ったり手伝ったりしたのかは???
外からは見えない事なので当事者しか分からない問題です。
キャンドル氏は、自分は幸せだった。
と語っていましたが、妻が幸せだった?かは不明です。
不明と書きましたが、幸せではないから不貞を起こしてしまうのです。
心が満たされていなかった。
私は、心が満たされていたら他の異性には行かないと思っています。
色々な占い師のブログ記事を見ると‥‥
広末さんは『桃花の人』の記事が多くありましたが‥‥。
『桃花』とは、フェロモンが出ており異性縁が多くあり異性問題が起こりやすい人。と言われています。
二年に一回は、異性関係のトラブルがあったと語っていたので『桃花』の傾向もあったと思われますが・・・
私が思うには『桃花の人』って魅力的な人と言われていますから、フェロモンが多く出るので愛情表現の方を重要視してしまうのかな?と思ったりもします。女性性が全面に出やすい。
子供の事より、自分を一番に愛して理解して大事にして貰いたい。
愛されたい願望が少し強めって感じかな。
キャンドル氏は、子供の事を一番に考えてと言う言葉が多くありましたが、子供は二の次でもいいと思っています。
夫が妻を一番に愛して大切にする。
一番が妻・夫で、二番目に子供。
私も、いくつもの修羅場を通り抜けて学んだものもあります(苦笑)
どちらかと言うと子供の為とか思って離婚を思い止まったりしましたが・・・逆効果でした。
ブログで前にも、夫婦仲が一番と書いていますが、子供にとっての幸せもそこに当てはまるんです。
色々なものが絡みあって、不倫に発展してまうもの。
夫婦二人の問題で、他人からは見えないものが原因なのです。
不倫が良いか悪いかは、肯定も否定もしませんが・・・
紫微斗数の占術を勉強した立場で考えると、悪い行いをすればそれなりの報いと結果は生じます(業報因果)
ごちゃごちゃで、まとまりがない文章になってしまったが‥‥
女性の気持ちを代弁したくなってしまったのでした。