今は毎日が楽しく、1日24時間では足りないくらい、やりたいことがいっぱいある・・・という生活です。
実のところ、姑に「見栄を張れ」「見栄を張れ」と煽りたてられて夫が空っぽにしてしまったので、金銭的には苦しいのですが、それでも精神的に充実しています。
私が自分の心にだけフォーカスするようになる前は、朝目が覚めた瞬間に感じるのが「絶望」でした。
目が覚めてしまった。
朝になってしまった。
このあと上の子は、また目覚めた瞬間からぐずり始める。
その声を聞いて夫が目を覚ます。
夫は子供がぐずるのは私のせいだとキレる。
上の子は、夫が全て私のせいだと言うのをわかっていて、あえて夫のいるところでぐずって見せる。
夫が出勤してからは、上の子は姑に聞こえるように泣きわめき、姑を怒鳴り込ませる。
上の子はそもそも布団から出ようとせず、起き出してからもうずくまったまま動こうとしない。
私が着替えさせても、自分でパジャマに戻ってしまう。
私が「あーん」と言って口まで食事を運んでも、口を開けようとしない。手を払って散らかす。
嫌ならパジャマのまま登校すればいいし、それで恥ずかしいと感じれば自分で模索し始めるだろう。
食べたくないなら食べずに登校すればいいし、給食までもたないだろうから、朝食の必要性を自覚するだろう。
私はそう考えるのですが、それは姑が「一生後ろ指さされる!」とキレて、私に着替えさせろ食べさせろと怒鳴りつける。
だからといって、上の子は着替える気にもならなければ食べる気にもなりません。私が食べさせようとすれば、姑は「無理やり食べさせるな、虐待だ!」と怒鳴り、食べないまま登校させようとすれば「食事を与えないのは虐待だ!」とどちらにしても怒鳴るのです。
その上、姑はこのうずくまったまま動こうしない子を、集団登校に間に合わせろとまた怒鳴りつけます。子供の通う小学校では、集団での登下校を採用しています。他の子達を待たせないように間に合わせようとしますが、上の子は動きません。なので、集合場所へ先に行ってもらえるよう伝えに行こうとすると、それをまた姑が「一緒に登校しないと一生後ろ指さされる!」とキレて連絡しに行かせまいと私を止めて、同じ登校班の子を待たせてまで上の子を合流させようとするのです。
これが毎朝、何年も続きました。毎日、1日中疲弊していました。「やっと眠れる」、そう思って、また朝が来ることはあえて考えないようにしていたくらいです(「あえて」ということは、考えてしまっているのですが・・・)
「私は他人のハンドルを握ろうとしている」
そう教えてもらってから、私はずっと何とか姑に怒鳴り込まれないために、姑に話をつけようとしていたことを振り返りました。自分が変わろうとしていたつもりが、他人(姑)を変えようとしていたのです。
それから、私は自分のことだけ見つめるようにしました。自分を変えようとしたというより、自分自身をおざなりにしていたことに気付いて、自分に対して思いやりを持つようにしたのです。
それまでは「思考」が「外(他人)」に向いていました。それを自分の「心(直感)」に従うことで、自分をいたわることにしたのです。いつも自分は後回しだったからです。
そのとき自分が心地よいと思うことを採用して生活する。
やりたくないことはやらない。
やりたくないけどやらなければならないようなら、どのタイミングで、どの程度の仕上がりでやるのか。
出掛ける際にも、いつも最短距離で効率よく進路選択しているものの、いつもと違う道だけど、通ってみたくなった「その瞬間」を採用して進路選択する。
今コーヒーはどのカップで飲みたいか(いつもはたっぷり淹れたいから大きなマグカップを使っているけど、来客用のとっておきを自分のために使ってみる等)
効率などを優先して思考で暮らしていた日々から、日常の小さい「幸せ」を採用して暮らしていくようにしたら、自分にダメ出しをしなくなり、他人に対してもダメ出ししなくなっていきました。自分に許可を出すと、他人にも許容できる範囲がどんどん広がっていき、イライラすることが滅多にない状態になりました。
「私はこれだけやってるんだから、当然あなたもそうすべきでしょ」という、自分批判=他人監視の思考で暮らしていたことに気付いたら、それは苦しいだろうと客観視できるようになっていきました。
ありがたいことに、夫の仕事はコロナ禍でも減ることはありませんでした。職場によっては、担当部署を閉鎖して別の業務にあたったり、武者修行と称して他会社に出向してそちらから給料が入るようにされたりという話も聞きました。夫の職場はコロナ倒産もなく乗り切れましたが、給料だけは3分の2から半分程度に減らされていきました。これはかなりきつかったのですが・・・
私の心が安定していくと、なぜか夫の精神状態も安定していき、私が知っている同居前の夫に戻っていきました。夫の親離れが進むと、姑も以前のようにキレて怒鳴りつけるということがなくなっていき、夫の給料も以前の水準に戻っていきました。
たまたま重なっただけの出来事かもしれません。でも、私はそれを「ラッキー」と思えました。以前の思考だけで暮らしていた頃の自分では、そうは感じられなかったでしょう。これが「引き寄せ」か、と良い循環に乗ることができたんだと思えたのです。
毎日が楽しくて1日24時間では足りないと思えるような暮らしになって精神的に安定すると、金銭的にも豊かになっていきました。夫の金銭感覚も、徐々に同居前に戻っていきました。やはり金銭的に余裕がないと、精神的な余裕も保てません(とはいえ、煽られて使った額は補填できていませんが、日々の暮らしは困窮しなくなりました)。
「今あるものに感謝すればいいだけ」とは聞きますが、毎日ごはんを食べられることに感謝できるのは、食べられない現実を体験するからだと思います。「毎日働いてくれる旦那さんがいるから専業主婦でいられるんでしょ。感謝しなきゃ」と言われたこともあります。このとき私が思ったのは、「同じ家庭環境で生き延びてから言ってよ!」でした。15年以上姑のバワハラにさらされ、夫が100%姑側で、子供もその姑や夫を利用する・・・そういう暮らしをしていないのに、収入のない私を非難しているようにしか感じられず、その言葉は受け入れられませんでした。
今では、自然と何に対しても感謝の念が感じられます。感謝は他人に説教されてできるものではありません。まず自分で自分に思いやりを持つと、自然と他人の気持ちも尊重できるようになり、感謝の念が感じられる・・・この順番かなというのが実感です。
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どん底は経験しないのがいちばんですが、想像だけでも感謝はできると思います。「思考」優位だった頃は、そんな想像さえできませんでした。想像は思いやりに繋がるのでしょうけど、私は自分にも他人にも思いやりが持てていなかったので・・・