他人に理解を求めると甘えという猛毒が生じる。

この甘えという猛毒は非常に厄介だ。

甘えが生じた瞬間に全てにヒビが入る。
その時点で、目的を達成するのは、まず不可能になる。

仮に達成出来ても、非常に困難な達成や不完全な達成になるだろう。

他人に理解してもらいたい欲求とは、言い換えれば、助けてくれの合図である。
そこには、他力本願が見え隠れする。

拗ねたり、ひねくれるのも、他力本願の合図であり、甘えがあってこそ起こる感情である。

他力本願こそが猛毒の核なのだ。

他人に騙されるほとんどの人は、他力本願を持っている。

騙された人は、心を防衛する。

他力本願なのに、他人を警戒すると、心の中で矛盾が起こる。

そのまま、精神は崩壊する。

他人に理解を求める行為は、全く知らない第三者には通用しない。

全く知らない第三者に対して、拗ねたり、ふてくされたりしても、その行為すら理解してくれないからだ。

逆に気○いに見られてしまう。

甘ったれとは、他人の優しさにつけ込んでSOSを出す常習犯なのだ。

「誰かが私を理解して、優しくしてくれるだろう…」

こんな人は、ジャングルの奥地の原住民としばらく住む事をお勧めする。
鬱や自律神経失調症の人は、信じる力が足りない。

自信がない人は、自分を信じる事が出来ないから、潜在意識に不安がつきまとう。

疑う事が癖になってる。

疑っていれば、騙される事もないし、落胆する事もないが全力で何かをする事は出来ない。

いき過ぎた防衛本能が自分の体を傷つける。

そもそも、強くなければ自分も他人も信じる事は出来ない。
疑ったり、斜めから物事を見るのは、過去の失敗を引きずってるからだ。

疑う強さも大事だが、信じる強さも大事である。

自分や他人に期待するのは、誰しもやっているが、それは弱さの骨頂である。

自分や他人を信じる事で強さが養われる。

信じ続けるには、大変な忍耐が必要だが。

頼ったり、落ち込む事は、我慢しなければならない。

それを、露骨に出す奴はいじめられる。
いじめる奴らと、いじめられる奴の本質は一緒。

どっちも弱い。

俺も、子供の頃はいじめられた。

大人になっても、壮絶ないじめを経験した。

子供の頃は、我慢したが、大人になった時のいじめは、本気で自殺を考えた。

たまたま、他人の仲裁で解決したが、それがなければ、死ぬしかなかっただろう。

いじめの達人は、他人の苦痛所を良く知っているし、逃げらんない状況を作るのが上手い。

よく、他人に相談とか言ってるが、そんな事は絶対に出来ない。

解決する方法は、逃げるしかない。

逃げたら、後々に大変な状況になる事はわかるが、死ぬよりは絶対にマシ。

これは、経験者が語る。

5年くらい立てば関係なくなる。

今、本気でいじめられてる人は、生きているのが嫌になるぐらいに口撃と攻撃を受けて、冷静な判断が出来なくなってる人が多いだろう。

そんな時は、逃げるしかない。

逃げるという言葉は、悪い意味でとられる事が多いが、凶悪犯から逃げずに戦って負ける事(殺される)が正しいだろうか?

家庭の事情や、生活がかかっていると、逃げたくても逃げらんないのはわかるし、いじめてる奴らもわかってる。

学校ならば、親と戦って学校にいかない。

仕事なら、他を見つけて逃げる、もしくは、しかるべき所に相談する。

その後に、さんざん恥ずかしい状況があるのが嫌だと思うが、死ぬよりは絶対にマシ。

たまたま、死を免れた俺が言うのだから間違いない。

本当に追い込まれると、死んで逃げる事しか考えられなくなる。

気持ちは、十二分にわかるが、その答えは間違っている。

死ななければ、その後は何とかなる。

ツラいと思うが、勇気を持って逃げる事を勧める。

言葉で言うのは簡単何だけどね…

死を覚悟するんじゃなくて、逃げた後の状況を覚悟しろ!!