30数年前の、大学時代のK君とのことを少しずつ思い出している。

お互いの記憶をすり合わせて、つむぎあわせているものの、そこは30年以上も前のこと。互いに断片しか思い出せない。それでも、そこが私たちの始まりだったから、懐かしくて幾度も語り合う。


出会いは大学のサークル。

私が大学3年生の時、K君は2年生にして何故か中途入部してきた。もうひとりのI君とともに。

それまでは弱小サークルで、私の学年が2人、すぐ下の学年はN君たった1人。K君たちのおかげで2年生が2人増え、1年生も4人入って、急に賑やかになり、すごく楽しくなったのを覚えてる。

駅から大学までが少し遠くて、普段は大学のスクールバスで向かうのだけど、バスもそんなに頻繁には出ないから、ある時、K君とI君と一緒に駅から大学まで25分くらい一緒に歩いて向かったことがあった。K君が入部して間もない頃だった気がする。

その後からだったかな。

K君が「ちび子さんっていいですね。言葉使いも丁寧でほかの学生とは違うし。」というようなことを言われたような記憶がうっすらある…。

なんだか、わからないけれど、一緒に駅から大学まで歩いた25分で何故かK君は私のファンになったらしい…。


K君は新聞奨学生をしながら大学に通う、東北出身の真面目そうな学生だった。

特別に家庭が苦しいということではなかったと思うけど、K君はそういうことを実行しちゃう人で、あの頃は気づかなかったけれど、思えば後輩とはいえ、あの頃の私よりずっと大人だったのだ。


1年生から入部していたすぐ下の学年のN君とも、K君とI君はすぐに仲良くなって、私も3人の後輩の男の子たちに囲まれて、まるでボーイフレンドをたくさん引き連れているような気分で楽しく過ごしていた。K君だけを特別に意識することはなかった。

一年くらい経つ頃から、K君からアプローチらしきものが始まって、結構な頻度で夜に電話がかかってくるように。何を話していたかは全然覚えてないのだけれど、夜の9時頃にかかってきた電話は午前零時過ぎまで続き、4時間とか話していたから、私はいつも新聞奨学生のK君がこんな遅くまで電話をしていていいのか…?明日の新聞配達は大丈夫?と気にしていたのを覚えている。

当時、私には遠距離恋愛をしている高校時代の先輩(今の夫)が新潟にいて、なんとなくK君との電話を後ろめたいような、それでいてサークルの後輩だからと言い訳をして話し込む自分がいて、微妙な気持ちでいたのを覚えている。

32年後に53歳になったK君と再会して、こうして電話とLINEで当時のように長話をするようになって、あの頃の自分がなんでK君の電話を拒めなかったのか、途中で切ることが出来なかったのか、ようやくわかった気がしている。

楽しかったのだ。ただ、楽しくて拒めなかった。

今もこれまでこんなに波長の合う人はないと思うほど楽しいのだ。同じ人間なのだから、あの頃だって同じ気持ちだったはず。


私が大学4年生になり、大学生活もあと一年となった頃、K君のアプローチが本格化する。

実家に帰省する時、新幹線の駅まで一緒にバスに乗って見送りに来てくれたり、私の誕生日には実家にお花を送ってくれた。

一番覚えているのは、二人で動物園にパンダを見に行ったこと。

なぜ、当時の私が彼氏がいたのにK君の誘いを断らなかったのかは覚えていない。ただ、これはデートだよねと悩んで、同じサークルの親友に相談したのは覚えている。

K君は最後まで、一度も告白してこなかったけど、ここまでされたら、どんなにニブイ、ウブな大学生の私でもK君の気持ちはわかっていたはずだ。


K君は言う。

「彼氏がいたのはわかってたから、真正面から言ったらフラれるのはわかってた。だから、断られないように、核心に触れずに精一杯攻めた。会えなくなるよりマシと思っていた。」

パンダのデートだって

「デートとは言わずに、『パンダみたいよね?でも皆忙しいから、二人で行くしかなくない?』みたいな言い方したんだと思う。年下だったから遠慮してたし、それ以上、気持ちを伝えるなんて無理で、デートじゃない体でデートに誘うのが精一杯だった。」と。

それから当時の私のことを、

「ちび子さんはいつも困惑してた。その顔をよく覚えてる。そして、いつもいいとこで逃げられる記憶しかない。」と。

パンダデートの帰りに駅のホームでハグされそうになって逃げた記憶が確かにある。

K君は再会して、「俺の気持ちに気づかないフリしてたでしょ」と言う。


長電話のことも、帰省の時に送ってくれたことも、お誕生日のお花も、パンダデートももちろん全部覚えている。夫以外と付き合ったことのない私の、唯一の秘密の思い出だったから。

K君は最後まで、一言も好きとは言わずに、私も言われないのをいいことに、先輩後輩としてギリギリのところまで拒まずに絶妙な距離感でいて、私の結婚式には二次会にまで来てもらった。

今思えば、二次会に誘った私も私だけれど。他の後輩も呼んでいたから、K君だけ抜きというわけにはいかなかったのだけど。


だけど、30数年ぶりにこうして付き合うことになって、K君と当時の話を何度も振り返りながら、気づいてしまったことがある。

私が当時、気づかないふりをしてたのはK君の気持ちじゃなかった。K君の気持ちは、さすがにわかってた。私が気づかないようにしてたのは、自分のK君への気持ちだ。

そこに気づいてしまったら、自分の描いた人生のシナリオが変わってしまう。憧れの先輩と付き合っているというシナリオが。

年をとってできた末っ子の私を両親はことさら可愛いがってくれて、兄妹で一人だけ大学に行かせてくれた。だから卒業したら新潟に帰らなくちゃならない。皆が良かったねという、堅い就職先だって新潟で決まっていた。

だから私は、自分の揺れ動く気持ちを必死で隠して、そのくせK君を拒むことも出来ずに、困惑の表情を浮かべるしかなかったのだと。

30数年前に叶わなかったのはK君の恋だけでなく、私にとって気づいてはいけない恋だったのだ。

気がついてしまったら、自分のこれまでの30数年間がオセロのようにひっくり返ってしまい、涙がとまらなかった。


ずっとK君から年賀状をもらうたび、K君に年賀状を書くたびに、どうしたものかと戸惑いを抱え続けて、あんなに全国を旅したのにK君の住む街だけを避けて、ずっと自分の気持ちに蓋をし続けた。自分にそんな揺れる気持ちがなければ、お互い結婚もしたのだし、あんなに仲良くしてたのだから気軽に会えたはずだし、K君の住む街を避ける必要なんて何もなかったはず。ずっと自分が選んだ夫との人生が一番望んだものだと無意識に自分に言い聞かせて、K君への気持ちには蓋をし続けた。そんなことさえ自分で思い出せないくらい長い時間が過ぎて、それも忘れてノーガードで32年ぶりに会ってしまった。


大学の校門で再会して、恋に落ちたのは、だから突然なんかじゃなかった。30数年前の時限爆弾が爆破しただけ。きっとこうなることは決まってた。

人間って逃げたものから追いかけられるんだな。


それにしたって32年も経って昇華出来なかったなんて、よっぽどだな、私。