石原元知事がお亡くなりになられた。
先月はドカベンの作者、水島新司さんが亡くなられたし、昨年暮れには瀬戸内寂聴さん…
あまりにも続き過ぎると感じるけど、よく考えたら親も亡くなったことだし、アラフィフ世代は大先輩たちを送る年代ということね😅。
先日、仕事でお世話になった作家さんの訃報が届いた。自分がまだ二十代だった頃、ある仕事で関わったことがある方。
とは言っても、当時ペーペーだった私は、直接やり取りしたことはなく、事務処理をしただけ。
当時その作家さんは、海外でいくつかの賞を受賞するなど評価され始めた時期で、故郷で展覧会を開き、その作品をそのまま寄贈していただいた。
当時の上司からは大変難しい方と聞いていて、仕事で関わる時はすごく気を使う、正直、面倒な方なんだろうな思っていたし、いろんな方面からも同じような話を聞いていた。
今にして思えば、作家さん特有の、芸術や作品に対する思いの強さで、特別に面倒な方ではなかったのかもしれません。
一昨年、課長として二十年ぶりに今の部署に戻ってきて、その作家さんが当時寄贈した作品を返して欲しいと言っていると、ある方を仲介してお話がありました。
部下が、私が二十年前に整えた書類を出してきて「これ課長がされたんですよね?」と言った時はなんで私が戻ってきた今、この話が😱❗️と、思わず頭を抱えたものです…。
おそらくいただいた作品は、作家さんが望む形では活用出来ていなかっただろうから、これから起こるであろうやり取りを考えたら、気難しい作家さんの顔が頭に浮かんで、どうしたものかと頭を抱えたものでした。
ところが不思議なことに、これまた昔お世話になった別の上司や、作家さんの幼なじみの社長さんなどが現れて仲介役を買って出てくださり、どうにか円満に作品をお返しすることが出来ました。
直接お会いすることは今回もなかったけれど、とても喜んでいらっしゃっると聞き、ほっとしたものです。
このたび、訃報を受けてトップ用の資料をまとめながら、思ったことがあります。
その作家さんが、故郷のために役に立ちたいと強く思っていたことを、未熟な私は全然受けとめられていなかったなあと。
偶然にも二十年の時を経て、若かった自分が感じていたことと、同じ物事をもう一度違う角度から見れたからこそ、気づけたのかもしれません。
こういうことって、よくあると思う。
ある人が思いを持ってアクションを起こしても、受けとめる側はどうしても自分の立場で、目の前のやるべきことにどう影響するかを先に考えてしまう。結果、その思いを真っ直ぐに受けとめられない。
だけど、まずは相手が望むことを考えて、その思いを汲むことが大事なんですよね。
それがわからなければ、多くの物事は動かない。
今にして思えば、ご存命のうちに、長く気にかけていらした作品をお返しできたのはせめてもの救いになりました。
お返しした作品は、より多くの方たちに見ていただけるよう新しい場所に託すことができました。
それにしても、何故始まりも終わりも私が関わることになったのでしょうねぇ😅。
不思議なものですが、最近は一周回って帰ってくるような、こんな仕事がすごく多いです。
いくつになっても私は未熟だなぁ…。
でもそう感じるうちは学んでいるということか。
