高校時代の友人とひょんなことから、昨日、30数年ぶりに電話で話した😳。

彼女の親戚宅が夫の両親宅の隣にあるので、彼女と私が高校の同級生だということは随分前から話してあったのだけど。

何を思ったか、義母が

「ずっとちび子さんのことをあちらのご両親に話そうと思ってたんだけど、先日、草刈りにいらした時に思い切って声をかけてみたの!

そしたら翌日にあちらのご両親が娘さんに話したらとても懐かしがっていたからと、娘さんの連絡先を携えて訪ねてきたのよ!」

と彼女の連絡先を教えてくれたのだ。


彼女は高校一年生の時のクラスメートで、ずっと一緒に過ごしていた仲の良い友達だった。

だけど、その後、クラスが別になってからはほとんど一緒に過ごした記憶がない。

やがて、卒業し、大学進学と同時に地元を離れ、そのまま連絡をとることもなく今に至る。


仲は良かったし、彼女に関して嫌な思い出は何もなく、むしろ好印象ばかり。なぜ、その後つき合わなくなったのかが全く思い出せない。

おそらく、高校生にとってのせまい世界はクラスと部活と、目の前に広がる受験や膨大な未来。それ以上に手を広げる余裕などなく、クラスが分かれればそれでおしまいという感じだったのだろうか。


義母に彼女の連絡先を教えてもらってから、そんな事を考えるうちに、すっかり忘れていたあの頃の毎日や、気持ちがなんとなく思い出されて…

あまりそういうタイプではない私だけれど

「A子ちゃんだったら電話できるかな。話したいな☺️」と思い切って電話をかけてみた。


26歳で結婚を機に東北に移り住んだというA子ちゃんの話し方は、ちょっと東北訛りのイントネーションがあったものの、声も話し方も全く変わらずあの頃のまま😆❗️

もう30年以上も話していなかったというのに、お互い16歳だった頃のテンションで、高校を卒業してからどうしていたのか、今は何をしているのか、機関銃のようにしゃべり続けました。


お互い結婚もして、二人とも息子が二人いて、それなりに落ち着いた人生を送ってきた。

本当に良かった。話せて良かった。

今、このブログを書きながら、悲しくもないのに、あまりの懐かしさに号泣している😭。

懐かしくて泣くなんて初めてだ。


人生は矢のように過ぎていくし、51年も生きているとどんなものだっていつか終わりが来ることを嫌というほど思い知らされた。

誰かが「サヨナラだけが人生さ」と言っているけれど、まさしくそう。学校や会社、人生のステージが変わるたびに、その時一緒だった人たちとは自然と離れていく。

卒業式も、異動の時も必ず「また会おうね」と別れるのに、その約束はたいてい叶わない。

そう言うものなのだ、それでも何処かでお互い生きていればいいじゃないか(この歳になると、それも叶わないことも増えるよね)と思っていたけど。


思いがけない神様からの贈り物だった。

そうじゃないことだってあるよと、教えられた。

彼女と話した電話での53分間はタイムトラベルのように、私たちを16歳に引き戻した。

身体は年老いても結局、中身はいつまでも一緒なのだ。ここのところ、老いることだけに目を向けていた私にほんの少しだけ、ティーンエイジャーの頃の不器用でキラキラしたもの思い出させてくれた。

そうなんだよね、子供の頃は「子供っぽい」とか「大人っぽい」とか気にしたけれど、この歳になってわかる。大人だって本当は何も子供と変わらない。我慢できるようになっただけ。

私は今も、遊園地も流れるプールもお祭りもブランコも大好きだ。子供が大きくなって一緒に来てくれないから、50代のオバサン一人で流れるプールに行けないのが悩みだよ…。


母親になり、課長になり、50代になり、そういうものに見えるように頑張る毎日だったけど、無理に頑張り過ぎないようにしよう。

そして会いたい人には自分から連絡すればいいんだ!


電話でお互いの姿が見えなかったから、余計にあの頃に戻りやすかったのかも😅。

会ったら一気に玉手箱あけちゃうよね。

しかも、彼女に「長生きしようね」って言われて、一気に現実に戻されました😭。そんな歳よね。


いつかコロナが落ち着いた、会いに行こうと思います。

雪で枝が折れたけど、そこから花が咲きました。なんでもバラは新しい枝にしか花が咲かないのだとか。傷つくことも悪いばかりじゃないですね。