2月7日(日)
復帰して1週間を無事に終え、この週末はダラダラ、グダグダ過ごしています。
昨日なんて、一歩も家から出ず、家事も料理しかしていない😅。掃除もしない。食事の片付けと洗濯は旦那に任せた。やれば出来るじゃん!
私の中で働かないことの価値がかなり上がってます!
そして昨夜はAmazonで届いた大阪ふたごの焼肉😆!退院してずっと病院食を参考にヘルシーな薄味メニューで過ごして来ましたが、ここらで中学生男子にガッツリ飯を食べさせないと。
噂どおり、ホルモンが激うまで、追加注文しちゃいました😆!
いやぁ、俗世の食べ物はやっぱり美味しいですね!おかげで家中、焼肉臭がすごいですけど。
さて、焼肉からのギャップがすごい気はしますが、今日はイタコさんに会いに行ったお話です。
2年前、母が難病で亡くなりました。
最後の1年は療養病棟に入院し、食事を取れなくなっての看取りでした。
脳の病気で、家族が気づいた時は会話が難しくなってきていたし、入院した時には声も出せず、表情も作れない状況だったから、本人がどんな思いを抱えて病気と向き合い、最後を迎えたのか。それはずっと心にわだかまっていました。
その翌年に父も亡くなり、両親を二人見送った後、どうしてもそこが気になって。
亡くなった人を呼び出してくれると言えば、イタコさんだ!
昔、友人が青森の恐山に行って口寄せしてもらったと言っていたなと唐突に思い出した私。
そう言えば、テレビで「最後のイタコ」さんと呼ばれるお若い方が出ていたのを見たことがある。
色々と調べたところ、この最後のイタコさんが公式ホームページを持っていらして、恐山でなくとも八戸市の自宅で口寄せをしてくださるらしい。
そう言えば青森って行ったことがなかったな。
口寄せしてもらえるなら、この機会に行ってみるのもいいかもしれない。
恐る恐るメールを送ったら、連絡先が送られてきて、これまた恐る恐る電話してみた。
出たのは、ご本人である。
ちょうど夏休みを取れそうな日程でご都合があったので、ご自宅の住所をお伺いする。
かくして、2年前の夏、次男と2人で青森旅行を兼ねて八戸市までイタコさんに会いに行くことに。
その年は猛暑で、夜中も暑くて眠れないような毎日だったけれど、青森に着いたらあまりに涼しくて、爽やかでびっくりしたのをよく覚えてます。
イタコさんのご自宅は八戸市駅からタクシーで15〜20分くらいだったでしょうか。
電話でご住所をお聞きしてましたが「タクシーで名前を言えばわかりますよ」と言われていて、ホントに?と思ってましたが、わかりました😅。
イタコさんに口寄せに来る方って結構、いるんですね。でも、子連れだったので運転手さんが色々と心配してくれてお気遣いいただきました。
本当に普通のお宅でした。
そして、ご本人も。
テレビで拝見したことがあったので、そのギャップに少々戸惑ったくらい。
和室にとおされ、母(父は亡くなったばかりだったので、おろせないとのこと)の生年月日と名前、亡くなった命日を書いたかな。それしか伝えていない。
イタコさんは大きな数珠のようなものをジャラジャラと鳴らして、歌うように何かを唱えたかと思うと、いきなり母が語り始めた感じ。
病気になって自分でおかしいと思った頃の様子とか、こんなに早く亡くなると思わなかったとか。
あとは気にかけて呼び出してくれて嬉しいと。
時間にして20分くらいだったかなぁ。
語る言葉は同じことを繰り返していたから、中身としてはそんなに多くないし、一方的に話してふっといなくなるような感じではありましたが、途中、病気に気づいた頃の様子はイタコさんに話してはいないことだし、思いあたる節が色々あって、涙が出ました。
その一方で、同じことをずっと繰り返していたので、後半は????という気持ちも出てきたけれと😅。
「こんなに早く亡くなるなんて思わなかった」って何度も言っていたけど、82歳だし、そんなに早くはなかったんじゃないの〜?とか思っちゃいました。でも、しばらく時間が過ぎてから、この言葉は亡くなった日のことかなと気づきました。
最後の日、病院から連絡をもらって私が兄妹で最初にかけつけたんだけど、連絡の時点では今すぐどうこうという感じではなかったんだよね。
結果、私が着いたら「他のご兄妹はいつ頃来られますか?」と言われて、兄は本当に息を引き取る瞬間ギリギリだったし、姉は間に合わなかった。
母としてもまさかのことだったのかもしれない。
イタコさんに口寄せをしてもらったことは、本当に良い経験だったと思います。
本当であれば二度と聞くことができるはずがない、母の言葉。どんな形であれ、それを聞く機会を得たことに感謝しなくてはいけない。
思えば両親がまだ元気だった頃に二人でねぶた
祭りを見に行って、買ってきたお土産が家にはまだ飾ってある。こんな形で青森に行くことがてき、両親が楽しんだろうねぶたの灯籠飾りも見て、二人を思い出し、楽しい旅になりました。
イタコの口寄せは東北の伝統文化。今よりももっと命が不安定だった時代に、家族が死を受けとめる手段として、また、目の見えないイタコさんが社会で役割を得ていくために。
テレビで取り上げられたり、スピリチュアル的に色々言われたりすることもおありでしょうが、家族を失った時、なんらかの手立てで人はそれを乗り越えていかなくてはならない。イタコさんは社会の仕組みとして必要なものであったのでしょう。結局、口寄せで語られたことをどううけとめるかは生きている人の役目。
現在はイタコさんも高齢化で数えるほどしか現役の方はいないそう。そうした中で、最後のでイタコとして、この役割を担うと決めた松田広子さんに敬意を表します。
