先月、長男とバンコクに弾丸旅行に行ってきました。ワットパークナムの瞑想ルームはいくらでも眺めていられる美しさで、今年の恋の雑念も少し取り払ってきたはずだけど…。
年末だから、連日飲み会です。
いずれも仕事のお付き合いだから、気も使うし体力的にもキツイけど、そんな飲み会の唯一のお楽しみは、帰り道で彼に電話すること。
ちょっとほろ酔いで、大学生の頃みたいにどうでもいいことを笑いながらダラダラ話す。25分の帰り道があっという間で、わざと遠回りしたりして学生の頃みたい。
今さらだけど、好きな食べ物を聞いたら「ヨーグルトといちご」って返ってきて大笑い…。54歳のおじさんの好物がそれって。
あんまり食にこだわりがないらしく、大学生の頃の色白で細身だったKくんの面影が浮かんでちょっと懐かしい。今はそれなりに中年らしくなったけど、それでも50代にしては若々しいかな。
大学時代を共に過ごしたから、50代になってもなんだか学生の頃みたいなノリでいられる。彼と話してるとなんだか心が軽くなる。
あれから30年経って、普通に50代のおばさんとおじさんになっているわけだけど、そういう年齢変化もまるでないかのように、30年前と全く気持ちは変わらないと言ってくれる。彼は昔も今も愛をくれる人だと思う。
私に彼氏がいても、夫がいても、中年になっても、一緒に暮らすことはできなくても。ただ好きだと。
人生で私以上の人に出会わなかったとまで言ってくれる。そんな風に誰かに愛されたことはなかった。
私も成熟したなと思うのは、彼の存在そのものを好きと認識できるようになったこと。若い頃は、先に付き合ってた人がいるからダメとか、結婚出来ない人とは付き合えないとか、そういう枠にこだわって、自分の本当の気持ち、相手そのものを見ることができなかった。再会して一年かけてようやく自分を解き放って、結婚という社会的な形式に縛られることをやめることにした。
その一方で、もうひとつ思っていることがある。
私の人生は、やはり私のものだ。
若い頃は、好きな人とは一緒になりたかったし、そのゴールに辿り着くまでは、人生の全てがパートナーの存在のように思ってしまう時期があった。去年、彼に再会してから、つい最近までも、やはり、一日の大部分を彼のことを考えて過ごしてきた気がする。
最近ようやく、通常モードに戻ってきて、彼のことをとても大好きだけれど、それはやはり私の人生の一部分であってすべてではないと考えられるようになった。
彼との時間も大切だけれど、離れていてお互い別に家庭もあって仕事もあるわけだから、それが全てになってしまったら、人生もったいない。
そう思うと、元々お互いの家庭を壊すつもりはなかったけれど、やっぱり彼とこの先一緒になるという未来はないなと思う。だって、これから彼と一緒になるということは、これまで私が築いた全てを失う覚悟が必要だから。若い頃なら、二人で一からそれを築けば良いけれど。しかも、それは彼にも同じことを強いること。いつか…という心の奥にあった小さなもしもに、蓋をしようと思う。
そんな話を行きつけのネイルサロンでしていたら、
「やっぱり今みたいに遊んでるのがいいんですよ」
と言われました😅
お互い本当に好きだし、それぞれの配偶者に恋愛感情は残っていなくて、互いの家族に対する責任のために離婚や結婚を選ばないだけなんだけど…。
世間的には、結婚を目指さない恋愛関係っていくら真剣でも、遊びに見えちゃうんだな😅
