持つべきものは友達です。学生時代の友達からJR九州・1日乗り放題乗車券を頂きました。乗り放題キップ大好きな私です。GWを利用して、せっかくだからできるだけ遠く、そして趣のある町に出掛けたいということで熊本は八代へ出かけることにしました。意外でしたがこのブログ、熊本を記事にするのは初めてです。八代の旅、楽しみです。

 

 福岡から鈍行列車に揺られ、八代へ。まずは腹ごしらえです。熊本と言えば水の都球磨川菊池川川辺川など美しい清流を有しています。清流と言えばやはり八代名物、鮎の甘露煮弁当を頂きます。

 

【鮎、甘露煮弁当】

 

 

 徳川幕府による一国一城令が出された後も肥後・熊本藩は熊本城と麦島城の一国二城体制が認められていたそうです。麦島城大地震で崩壊したものの当時の熊本藩主・加藤忠広が幕府の許可を得、1622年に新たに城を築きます。これが八代城です。天守はその後の落雷で焼失しましたが、肥後の一国二城体制は明治維新まで続きます。立派な石垣が初夏の緑によく映えています。

 

【八代城】

 

 強固な石垣を築くため隅部は算木積み(さんぎづみ)という技法が用いられています。算木積みとは細長い石の長辺と短辺を互い違いになるように積み上げたもので慶長10(1605)年ごろ完成した技術だそうです。

 本丸の入り口も枡形になっていて八代城難攻不落の城だったことが窺われます。

 

 江戸時代、八代城で用いられていた井戸が遺っています。直径90CM石灰岩を積み上げて作られた井戸です。

 

【八代城。井戸】

 

 明治16年落成の八代宮本丸跡に建っています。八代宮後醍醐天皇の皇子で南朝の征西大将軍として肥後の菊池を拠点に活躍した懐良(かねよし)親王が祀られています。南朝びいきの私です。しっかりと参拝させていただきました。

 

     【八代宮】

 

 境内の石碑ミッドウェー海戦で戦死した空母・飛龍艦長加來止男海軍少将の顕彰碑です。元々鎌倉に建てられていたものですが占領軍への配慮から少将の出身地・八代に移されたそうです。揮毫は明治から昭和後期まで活躍した日本のジャーナリスト、徳富蘇峰によるもの。徳富蘇峰も熊本の人で、徳富蘆花の実兄ですね。

 

     【海軍少将加來止男君之碑】

 

 八代城址には句碑もあります。江戸時代前期の俳人、連歌師西山宗因の句碑です。井原西鶴らで有名な談林派の祖である宗因は15歳で八代城に出仕していたとのことです。八代は趣のある城下町です。宗因もここで俳諧や連歌のアイディアが次々と浮かんでいたのかもしれませんね。

刻んである句は「雪見よと兼ては植えし浦乃松」という一句です。

 

【西山宗因句碑】

 

 未来の森ミュージアムに立ち寄って八代の歴史についてもう少し勉強しましょう。

 

     【八代城・擬宝珠】

 八代城の堀に架けられた橋の欄干を飾った擬宝珠です。側面には八代城が完成した元和8年の文字が刻まれています。八代城築城時の貴重な遺品です。

 

     【麦島城・屋根瓦】

 八代城に先駆けて築城された麦島城で用いられた様々な屋根瓦も発掘されています。秀吉の許可が必要だった桐紋(豊臣家の家紋)の鬼瓦や金箔の鯱瓦が見つかっており、秀吉がこの八代を重要な拠点と考えていたことが窺えます。八代で初めて石垣で築かれた麦島城の屋根には金のシャチホコもあったそうですよ。

 

旧八代城主、松井家御茶屋、国指定の名勝・松浜軒(しょうひんけん)でひと休みです。

 

【浜松軒】

 

 江戸時代初期の大名庭園の形状を伝えている松浜軒八代城・三代城主松井直之公元禄元年の春、生母・祟芳院のために建てた御茶屋で通称は浜のお茶屋と言うそうです。江戸情緒あふれる爽やかな庭園。慌ただしい日常を忘れてしまいます。

 石塔も風情があります。苔むした趣が涼しげでいいですね。

 

 浜松軒の後は松井神社を訪れます。

 

     【松井神社】

 明治になり、八代城廃城の後、明治14年松井家初代・康之、2代目・興長を祭神として八代城、北の丸に創建された神社です。

 

 松井家が城主となる前寛永7(1640)年には戦国大名・細川三斎(忠興)八代城を隠居城としていました。三斎の妻は明智光秀の娘・細川ガラシャですね。北の丸には三斎お茶室、庭園を築いており、この時期は黄菖蒲が鮮やかに咲き誇っています。そういえば、この日は端午の節句でしたね。

 三斎が自ら植えた臥龍梅(がりょうばい)は老いてなお気品あふれる花を咲かせる姿が晩年をここで過ごした三斎の姿をほうふつとさせると言われています。

 

     【臥龍梅と臥龍梅碑】

 臥龍梅碑明治17年松井家12代当主・松井敏之細川三斎、また松井家初代・康之、2代目・興長武勇、遺徳を称えて建てたものです。

 

城下町をぶらぶら歩くと八代市内唯一の武家屋敷に着きました。澤井家住宅と長屋門です。

 

【澤井家住宅及び長屋門】

 澤井家は古くは足利家、のち細川三斎、さらには松井家に仕えた由緒ある家柄です。江戸時代末期の慶応元年建設の住宅や長屋門、塀が残っています。城下町、いいですね。

 

 八代城の遺構・高麗門本成寺で見ることができるということで参ります。本成寺は9歳で亡くなった加藤清正公の嫡男を弔うため建立された菩提寺です。

 高麗門寛永11年本成寺がこの地に移転した際、細川三斎が寄進したものです。

 扉を収める小屋根を両側に備え、瓦には加藤家の家紋が入ったこの門は創建当初の建築様式を現在に伝えています八代城の一部を見ることができて感激です。

 

【本成寺、高麗門】

 

 そして、ここは明治5年学制発布にともない、明治7年に一般庶民の子弟を集め、教育を施した寺であり、八代庶民の小学校発祥の地のようです。

 

 学生時代の親友から頂いたJR九州1日乗り放題乗車券、おかげで熊本・八代まで有意義な遠征ができました。1日かけてじっくりと城下町を散策するのは楽しいですよ