仕事納めも無事終わり、年末年始のお休みに入った12月27日、慰労を兼ねて歴史旅に出掛けましょう。本日の目的地は門司港レトロ。今年最後の歴史旅、ここを選んだ理由はこの時、『放浪記』を読んでいる最中だったので、門司港レトロ地区にある旧三井倶楽部林芙美子記念室を訪れたいと考えたからです。

 

 レトロ地区に到着すると早速レトロな電車が出迎えてくれました。かつて西鉄北九州線を走っていたボギー車100型です。

 西鉄北九州線西鉄の前身である九州電気軌道により明治11年開通。ここ国際貿易港・門司城下町で商業の中心地・小倉製鐵所の立地する八幡交通の要衝・折尾などをつなぐ路面電車として平成12年に全廃されるまで活躍していました。この100型車北九州線が一部廃止された昭和60年引退しました。

 

西鉄北九州線ボギー車100型】

 西鉄100型に乗って門司港を訪れた気分でレトロ地区散策に出掛けましょう。国際貿易港らしい洋風の建物、大連友好記念館です。

 

      【大連友好記念館】

 大陸貿易の拠点として栄えた門司港中国・大連と重要な国際航路でつながっていました。その関係で北九州市大連市友好都市になっています。この建物は友好都市締結15周年を記念して1994年竣工されたもので、大連市民の協力1902年に大連市に建築された東清鉄道汽船会社を複製建築したものだそうです。ハイカラな港町洋館はよく似合います。今日はお洒落な洋館を沢山見ることができますね。

 

 明治22年開港以来横浜、神戸に並んで九州の玄関口として近代日本の発展を支えた門司港。その象徴的な建物がこの旧門司税関庁舎です。

 

      【旧門司税関庁舎】

 

 明治45年門司税関として建築され15年間税関庁舎として使用されましたルネサンス様式の美を追及した煉瓦造りの美しい建物です。

 ここには税関に関する様々な資料が展示してあります。

 

 この資料は対岸の下関下ノ関税関監吏出張所が設置されるきっかけとなった出来事を記録したものです。

 明治7年神戸を出航し、上海、香港に向かう外国船の水先案内人を下関で下船させ、神戸へ帰すための願出ですが、当時の下関には税関がありません。そのため水先案内人の上陸許可のための取り締まり実施太政大臣(総理大臣)三条実美に上甲した際の資料です。書類には内務大臣・伊藤博文大蔵大臣、大隈重信の名を見ることができます。1年後の明治8年下関に税関監吏出張所が設置されます。

 

 税関庁舎を出るとちょうどはね橋が開くところでした。この橋はブルーウィングもじと言って全国で唯一の歩行者専用はね橋だそうです。しかも恋人の聖地とのこと。一人で訪れた身としてはちょっと寂しいですが、本当にロマンチックな橋ですね。

 

【ブルーウィングもじ】 

 

 お昼を頂いて、後半はこのはね橋を渡って駅の方に向かいましょう。Ancherという港町に似合うお洒落なお店で門司港名物焼カレーを頂きます。

 

【焼カレー(Ancher)】

 焼カレーのお陰で身体も温まりました。港町の散策も心地よいものです。

 旧三井倶楽部は赤煉瓦の建物とはまた違った趣がありますね。大正10年に三井物産門司支店が接客のために門司港山手に建築したこの建物は平成7年に解体され、ここへ移築されたそうです。大正期における北九州の近代化を示す建物として重要文化財に指定されています。

 

      【旧三井倶楽部】

 

 2階には相対性理論で有名なノーベル賞物理学者・アインシュタイン博士が宿泊したお部屋が復元、保存されています。講演旅行で日本を訪れた博士関門海峡両岸の街の灯を見て、「日本は力のある国だ」と言ったそうです。お部屋には博士のサイン入り扁額が飾ってあります。

 

【アインシュタイン博士サイン入り扁額】

 

 隣の部屋は林芙美子記念室です。この関門地区で生まれた林芙美子先生『放浪記』で自らを「宿命的な放浪者」であると記しています。逆境にあってすごいパワーのある作品を描いた先生のルーツを学ぶことができ、自分も生きる力をもらいました。「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」は先生の有名な言葉ですね。

 

【林芙美子先生書斎(パンフレットより撮影)】

 

 

八角形の塔屋がと鮮やかなオレンジ色の外壁が美しい建物は大正6年に建てられた大阪商船門司支店を修復したものです。

 ここは昭和8年ソ連のスターリンによって日本に送り込まれたスパイを描いた映画『スパイ・ゾルゲ』の撮影でも使われたそうです。

 

      【旧大阪商船】

 

  

 門司港の玄関口レトロ地区の象徴的な建物といえば、やはり門司港駅です。

 

      【門司港駅】

 

 大正3年、旧門司駅として開業したネオ・ルネサンス様式の木造建築、鉄道駅舎では初の国の重要文化財に指定されています。まさに「大正浪漫」というにふさわしいお洒落ないで立ちですね。

 

  鉄道の歴史をもっと学ぼうと九州鉄道記念館にも足を運びました。明治21年に設立された九州最初の鉄道会社、九州鉄道会社により明治24年に本社屋が建てられ門司を起点として九州各地への鉄道網が形成されました。門司港駅と言い、九州鉄道会社本社屋と言い、当時の賑わいが偲ばれます。

 

      【九州鉄道会社本社屋】

 

 

 山側に向かうと今度は和風の浪漫あふれる建物がありました。昭和6年に建てられた木造三階建ての現存する九州最大級の料亭・三宜楼です。

 

【三宜楼】

 明治22年に国の特別輸出港に指定された門司港は陸上・海上輸送の中心地として栄え、金融機関、商社、海運会社の支店が先を争うように進出するようになります。すると地元経済界の迎賓や社交の場として料亭や旅館が軒を連ねるようになりました。この三宜楼でも日本を動かすような経済人や一流の文化人たちが盃を交わしていたことなのでしょうね。

 この三宜楼、なんとお邪魔して見学することが可能だということで遠慮なく見学させていただきました。感激です。まるで自分も経済界の首領(ドン)になったような気分です。

 

 壁にはレトロな電話機が取り付けてありました。

 

【2号共電式壁掛電話機】

 

 受話器をあげると交換手につながり、相手の番号を交換手に伝えると交換手が相手に番号をつなぎ通話が可能になるというものです。三宜楼の番号は「8」番だったそうです。現在ではスマホが当たり前の時代、手間がかかるこのレトロな電話、かえってお洒落に見えますね。

 

 3階には正岡子規から『ホトトギス』を受け継ぎ、「花鳥諷詠」を唱えた高浜虚子が滞在したお部屋が俳句の間として公開されています。床の間には虚子がこの部屋で詠んだ『風師山 梅ありといふ 登らばや』という句と北九州ゆかりの俳人、杉田久女谺して 山ほととぎす ほしいままという句の掛け軸が床の間に飾ってあります。

 

【俳句の間(三宜楼)】

 『ホトトギス』を離れた杉田久女の句と高浜虚子の句が並んで飾られているのは何だかほっとします。

 何より高浜虚子先生と同じ風景を味わったというのが感激ですね。

 

 日暮れまで楽しんだ門司港レトロのハイカラな洋館めぐり。林芙美子先生高浜虚子先生の足跡もたどることができました。門司西洋文化と日本文化が混ざり合った魅力的な街でした。