大野城市の市民ミュージアム、「こころのふるさと館」開館5周年記念特別展として「大鏡の世界(国宝平原王墓出土)」という催しがあるそうです。平原(ひらばる)遺跡と言えば伊都国の中心地、そこから出土した鏡邪馬台国の謎に迫る重要な鍵を握っています。仕事が早めに終わった土曜日、早速出掛けることにします。

 

 展示室に入ると早速、超大型の鏡が出迎えてくれます。平原遺跡出土内行花文鏡です。撮影可ということなので早速撮らせてもらいます。立派な鏡です。

 

内行花文鏡】

 直径46.5㎝のこの鏡は弥生時代、古墳時代を通して日本最大級のもので、八枚の葉が描かれた八葉座という中国の鏡には見られない特徴があるとのことです。

 

 魏志倭人伝に記された伊都国最後の王墓、平原王墓からはガラス勾玉大刀、そして超大型内行花文鏡を含む国内最多の40を超える銅鏡が出土しています。それらの銅鏡は人為的に破壊されていました。これも邪馬台国の謎を解く何らかの特別な意味があるのかもしれません。

 

 ここでは銅鏡だけでなく平原王墓から出土したガラス勾玉、ガラス連玉、メノウ管玉も展示されています。

 

【ガラス勾玉、ガラス連玉、メノウ管玉】

 早良平野には邪馬台国に先立つ弥生時代前期から中期にかけての遺跡があります。吉武高木遺跡です。最古の王墓と言われるこの遺跡からは天皇家に伝わる三種の神器を思わせる「勾玉」「剣」「鏡」が発掘されています。

 

         【ヒスイ勾玉、管玉】

 

【多鈕細文鏡

 

 この二つの鈕(ちゅう)に紐を通し使用していたようです。このタイプの銅鏡が朝鮮半島から日本に伝わった最初の鏡のようですね。

 

         【銅剣】 

 

 見事な銅剣です。約2000年経った現在も素晴らしい光沢を放っています。研ぎ分けという技法で研磨されたこの銅剣は光の当たり具合で縞状の模様が現れるという工夫が凝らされています。

 

 最古の王墓から出土した2000年も前のものとは思えないほど美しい勾玉、鏡、銅剣という三種の神器を目の当たりにすると日本のルーツを解くカギはここにこそあるはずだと思ってしまいます。

 

 年が明けて新年、初詣で訪れた飯盛神社の境内で盃状穴石という不思議な石を発見しました。

 

【盃状穴石(飯盛神社)】

 この石は吉武高木遺跡のすぐ傍にある吉武バス停付近で橋として使用されていたものですが、歴史的意義があるものとして、飯盛神社に移設されたもののようです。石の表面には深さ約5.5CМ直径は最大のもので約9CМ盃の形をした25個の穴が確認されています。古墳時代、石棺の蓋として使用されていた遺物と推定されていますが、子孫繁栄、もしくは五穀豊穣を願ったのではないかという説や陰陽道に関する石にちがいないという説があり謎は解明されていません。いずれにせよ早良平野では古代、独自の化が栄えていたことは間違いありません。

 

 

 そして歴史好きにはお馴染みの三角縁神獣鏡です。断面が三角形の縁に神様と獣の像が施された銅鏡で、邪馬台国論争のカギを握る重要な遺物です。

 

【三角縁神獣鏡(伝・御陵古墳出土)】

 

 展示された鏡は大野城の御陵古墳から出土したものと伝わる大野城市の文化財「天王日月」の文字を見ることができます。

 

 特別展示「大鏡の世界」、充分堪能できました。常設展示も見て回りましょう。

 

 壁には水城跡から剝ぎ取られた土塁断面の標本が展示されています。白村江の戦いで敗れた日本が唐、新羅の侵攻に備え築いた水城。高さ約6Мの土塁は下層に火山の土、中層に川の土、上層に山の土と種類の異なる土を積み重ね頑丈な土塁に仕上げられていることが分かります。

 

          【水城の土塁断面標本】

 「こころのふるさと館」がある大野城市には石器、骨角器を使ってナウマンゾウなどを狩り、植物を採集していた旧石器時代から人が住み始めたそうです。縄文時代になるとクリやドングリを主食とし、シカやイノシシなどを狩るようになりました。大野城の釜蓋原(かまぶたばる)遺跡から出土した縄文時代の石槍、矢じりが展示されています。

 

          【石槍・矢じり(釜蓋原遺跡出土)】

 

 同じく大野城市の仲島遺跡からは約2000年前鋤の形をした中国のお金が出土しています。貨布です。しかし、当時の日本にはまだお金がなかったため、この貨布を宝物として持っていたようです。

 

【貨布(仲島遺跡出土)】

 

  大野城6世紀から9世紀の約300年にわたり古代の焼き物である須恵器を製作したの跡が600基も存在した牛頸須恵器窯が広がっていた日本三大窯跡群のひとつです。多孔式煙道とよばれる横並びに多くの小さな煙突穴のある窯は日本では牛頸須恵器窯跡でしか発見されていません韓国の瓦窯には複数の煙道を持つ窯が見られることから、この地域と朝鮮半島との関わりを窺い知ることができます。

 

【牛頸須恵器】

 

 弥生時代から江戸時代までの様々な遺構、遺物が発見された御笠(みかさ)の森遺跡からは羽子板碁石が展示されています。羽根突きは室町時代、正月に災いを祓うおまじないとして行われ、江戸時代に庶民の遊びとして広まったとのことです。

 

          【羽子板、碁石(御笠の森遺跡より)】

 

  大野城市在住の竹田氏から寄贈された竹田文庫がお披露目されていました。竹田文庫江戸時代貝原益軒の助手であった竹田定直(春庵)から代々、黒田藩の藩儒として勤めた竹田家に伝わる価値ある資料です。写真の書物は「長政」という記述があるので『黒田家譜』ですね。

 

【竹田文庫】

 

 ここでは昭和を深く知ることができる資料も展示されています。太平洋戦争中に発行された貯蓄債権です。

 この展示品は戦費を国民からかき集めるために発行された少額債権で、10円(現在の価値に直すと約3580円)で売り出され、抽選に当たると15円で償還されるというお得なものでしたが、その後、物価が上がり終戦後には15円でも1.5円分の買い物しかできなくなってしまいます。

 

【戦時貯蓄債権】

 今回の旅は「心のふるさと館」に展示された古代王墓から出土した鏡の見学ということでインドアの旅でしたが、常設展示も含めて古代から現代までの歴史を学ぶことができ、充実した時を過ごすことができました。

 最後に館内のカフェでこの期間限定の「鏡ドーナツセット」をいただきました。

 

          【鏡ドーナツセット】