10篇 勿忘草を君に その9
野田の心配事は杞憂では無かった。高校生の頃と違って渡井朱美が接触する様になって来たのだ。最初は同じ高校出身者、と言う事で声を掛けて来た。その時は野田が一緒で、渡井朱美も友人連れだったので、挨拶程度で終わった。それで済んだと思っていたが、渡井朱美は何時もさり気なく現れた。すれ違う時は目を見つめて微笑み、正面から行き交う時は名前を呼んで声を掛ける。食堂へ行く時などは何処で見ていたのか、必ずと言って良いほど姿を見せて、同じテーブルに着く。それを繰り返されているうちに、二人は付き合っていると言う噂が流れてしまった。意図的にやられている気がして不快感を覚えた。
中には噂を本気にして揶揄って来たりする者もいるが、僕が露骨に嫌な顔をして否定すると、大抵は吃驚して信じられない、と言う顔をする。美人だしスタイルだって悪くない、性格も良さそうなのに勿体ない、と皆に言われても、少しも心が動かされないのだから仕方がない。それは渡井朱美だけに限らず誰に対してもだった。これまでだって手紙を貰ったり、声を掛けられたりした事が幾度かあった。ただ気持ちが向かなかったのだ。高校生の時は受験生であることを理由にして断っていたが、大学生になった今なら余裕がある筈なのに、男女交際なんて面倒なだけだった。
心の中に誰が居るのか判っている。離れ離れになった時は中学三年生と中学一年生だった僕と雪子。僕の気持ちは今でも中学三年生で、中学一年生の雪子を胸に抱いている。ずっと中学生のままなのだ。一点の曇りもない、太陽のような笑顔が、忘れられない。