10篇 勿忘草を君に その4

 

 父の葬儀に実母が参列した。父方の祖父が教えたらしい。実母の姿を見るのは何年ぶりだろう。記憶の中にあるのは家を出て行く時の後ろ姿だけだ。懐かしいとも嬉しいとも感じない自分は冷たい人間なのだろうか。父の死の衝撃が大きすぎて何も考えられなかったのは確かだ。それでも帰り際に僕を見つめた目には憐憫の色があった。ああ、やっぱり母親なのだと思った。

 

 初七日が過ぎた頃、不意に実母が訪ねて来た。僕を引き取りたいのだと言う。考えてみれば父親が居なくなった此の家では、血が繋がっていないのは僕だけだった。実母が引き取りたいと願うのは自然の流れかもしれない。

 

 実母は弁護士をしていて、自分の事務所を持っているから、金銭的には何の心配もいらないと言った。僕は迷った。心情的には加納のままで居たい。義母と雪子と此のまま暮らして行きたい。だけど、現実的に考えれば、働き手のいなくなった今、一緒に暮らして行くのは不安定だ。当面は父の保険金で賄えるとしても、これから大きくなって行く子供二人を抱えて生きて行くのは、義母には辛すぎると思うのだ。中学三年生の僕には実母の申し出を拒む事は出来なかった。

 

 別れの日、義母は僕の手を握りしめ、弱い母親でごめんなさい、と一緒に暮らせない事を謝った。雪子はただ泣くだけだった。

 

  雪、僕は此れからも雪のお兄ちゃんだから。

 

頭を撫でると雪子は頷くだけで顔を上げようとはしなかった。

 

 迎えに来た実母の車に乗り込んで、見送る二人に手を振った。動き出した車に向って雪子が何かを言ったような気がした。振り向くと小さくなった雪子の、手を振る姿が目に映った。目頭が熱くなった。実母の手が肩に置かれるのを感じたら、涙が一筋零れた。