9篇 朝の月 夕の月 その20
母が会いたがってる、とドキドキしながら家に誘ってみた。淳史は当惑したようで、言葉を詰まらせた。
あ、ご家族が待ってるよね…。無理ならいいの。
淳史の現状を知らないのに、気楽に誘ってしまった事を後悔した。
いや、今は一人暮らしだから、家族はいないよ。
でも、いいのかな、お邪魔して。
少し迷っている様子を見せながらも了解してくれた。一緒に暮らしていた時の母と淳史は本当に仲が良さそうだったのだ。会いたい気持ちに嘘は無いと思う。
バスで家まで行った。バスの中は意外と混み合っていたので会話も余り出来なかったけれど心は満ち足りていた。家の前まで来ると淳史が切なげな声で独り言のように言った。
ああ、懐かしいな。ちっとも変わってない。
本当なら私達親子が此処を出て、淳史が住むべき家だったのだ。それを思うと申し訳なさで一杯になる。
ただいま。
努めて明るい声を出し、母を呼んでみた。よほど心待ちにしていたのだろう。普段は慌てる事の無い母が、ぱたぱたとスリッパの音を立てて、奥から小走りで出て来た。淳史の顔を見ると一瞬息を呑んだ。
いらっしゃい。まあ、大きくなって…。
感無量の母は既に涙ぐんでいる。
お邪魔します。お久しぶりです。
泣かれてしまった淳史は照れたような笑顔で挨拶をした。
さあ、上がって頂戴な。
母は手を取らんばかりの勢いで奥の部屋へ案内した。テーブルには既に沢山の料理が並べられていた。こんなに誰が食べるのだろうと心配になるほどだ。招待を受けてくれたから良いけれど、もし来なかったら無駄になるところだ。母の中では会えると言う一択だったのかもしれない。