9篇 朝の月 夕の月 その17

 

 見掛けたら声を掛けて、と言われたのに、なぜか淳史の姿を遠目にでも見る事は無くて、段々張りつめていた気持ちも緩んで来た。今の自分たちの状態を良く表している気がして寂しさを感じた。今も淳史からのメモ書きは胸ポケットにある。御守り代わりに持ち歩いているのは、少しでも繋がっていたいからだ。

 

 明日から三月になる。大学の卒業式が目の前だ。仲良くしてくれた先輩が卒業して行くのは寂しいが、就職も決まって明るい未来を思い描いている姿を見ていると、応援しなくてはと思う。卒業式が終わると私の誕生日だ。この日は母が私の好きな料理を作ってくれるので楽しみにしている。淳史は私の誕生日を覚えているだろうか、とふと考えてしまった。私の誕生日を迎える前に家族で無くなったので覚えていないだろうと思う。

 

 大学の卒業式は送る側として三年生だけが参加を許された。式の簡素化のために一・二年生は不参加とされてしまったのだ。式終了後、私達は卒業していく先輩とごく親しい女子たちだけで送る会を催した。大学の近くの喫茶店で一角を貸し切り状態にして、今までの事、此れからの事などを、語り合いながら楽しく過ごした。最後に記念品をプレゼントして、一人一人握手をして泣き笑いしながら別れた。

 

  卒業って寂しいけど、希望もあるよね。

  先輩、自分で決めた道、真っ直ぐに行って欲しいね。

 

目を輝かせながら、しみじみと美登利が言った。歩き出した道は平とは限らない。でこぼこだったり曲がりくねったりしているかもしれない。それでも泣いたり喜んだり怒ったりしながらでも歩いて行って欲しいと願う。

 

 世の中が女性の社会進出を受け入れ始めていても、もろ手を上げて喜んでいる人ばかりではない。女は家庭に入るべきだ、女の仕事なんて片手間でしかない、と頭から拒否反応を示す者もいる。そんな男社会に食い込んでいこうとする先輩を尊敬しながら一方で懸念もしている。

 

 私の誕生日の前日、美登利がプレゼントを呉れた。ささやかだけど、と言いながら渡してくれたのは、美登利が自分で桜の花を刺繍したハンカチだった。そう言えば美登利は刺繍が得意だった。本職のような出来栄えに声も出ないくらい感激した。

 

  ありがとう、大切にするね。

 

感極まった声だったと思う。美登利は嬉しそうに笑った。

 

 その夜、電話が鳴った。こんな時間に電話が鳴るなんて珍しいと、不安を覚えながら受話器を取った。

 

  もしもし…。

 

聞こえて来たのは思いがけない人の声だった。