8篇 僕の恋の話 その7

 

 僕は沙織にとって偶々立ち寄った客でしかない。多分このまま忘れ去られる事だろう。残念な気もするが顔合わせさえ拒まれているのだから、名乗ったとしても迷惑としか思われないだろう。僕自身、この先どうしたいのか、よく判らないのだ。親同士の関りを考えなければ、沙織は十分好感の持てる相手だ。菜の花畑の女の子は少女に成長して僕の目の前に現れた。それだけを心に留めて置こうと思う。

 

 川口裕子が父と入籍して松本裕子になり戸籍上は家族になった。僕は名前で呼ぶ事にした。裕子を母と呼べば、僕を生んでくれた母の存在が消えてしまいそうな気がして、それは嫌だった。ああ、僕が沙織に対して積極的に出れないのは、片親に対する気持ちが同じだからなのだ。僕にとって母親は一人、沙織にとっても父親は離れ離れになっていても一人なのだ。

 

 もう一度、沙織に会いたくて、顔を見るだけでいいから、と花林を訪ねた。多分これが最後だろう。夏休みが終われば大学進学の準備で忙しくなる。都会へ出ていけば滅多に帰省出来ないだろうし、ましてや花林を訪ねる事も儘ならないと思う。訪ねたとしても沙織がアルバイトを続けているとは限らない。躊躇いながらも花林のドアを開けると天使が立っていた。誰にでも向けているだろう笑顔が、今は僕だけに見せてくれている様に感じられた。前回と同じくイチゴのショートケーキとシュークリームを二個ずつ注文した。え?と言う様に一瞬だけ沙織の動きが止まった。笑顔の表情が少しだけ揺れた。ああ、思い出してくれたんだ。最初は初めての客として接してくれていたけれど、注文した品物で以前の客であることを認識してくれたのだ。