2025年7月:夜の睡眠の質と、復職へのプレッシャー

夜の睡眠の質が劇的に改善され、朝までぐっすり眠れるようになったおかげで、日中の長い昼寝をしなくても夕方まで体力が持続するようになった。ただ、定時前にイラストを描くことは精神衛生上あまり良くないと気づき、日中の気晴らしに絵を描くのは潔くやめることにした。通勤練習のたびに駅の自販機でペットボトルのお茶を買っていたが、積み重なると地味に出費がかさむため、自宅からマイボトルにお茶を詰めて持参することにした。これは大正解で、無駄な出費を抑えられただけでなく精神的な小さな達成感にもつながった。

よくよく考えてみれば、朝の早い時間帯に激しい運動をこなしているのだから、夕方に猛烈な眠気がやってくるのは人間の身体の仕組みとしてごく当然の反応なのかもしれない。試しに走る時間をそれまでの45分から15分だけ短縮してみたところ、驚いたことに午後の急激な眠気はピタリと収まり、昼寝なしで乗り切れるようになった。その結果、午後のノルマも以前よりスムーズにこなせるようになった。

調子に乗って走る時間を「30分」に正式に再設定してみたが、この変更が功を奏して午後の睡魔に悩まされることはなくなった。再び富山の実家へ車を走らせて帰省する。今回は移動の運転をこなすだけでなく、帰省中も隙間時間を見つけて勉強のノルマをこなすつもりでいたが、結局のところ環境が変わると気が散ってしまい、あまり捗りはしなかった。

自分の誕生日が、誰に祝われることもなく地味に過ぎ去っていった。休日に新しいイラストを描こうとiPadに向かってみたものの、肝心のアイデアがまったく降りてこず、何とか気力を振り絞って1作品を仕上げるのが精一杯だった。平日の午前中は意志の力で何とか耐えられるものの、午後を過ぎると鉛のようにまぶたが重くなり、定時までの残り数時間をただやり過ごすだけで精一杯という日が続く。このペースで本を読み進めていけば、いずれ手元にある読みたい本がすべて底をつきてしまうのではないかという、妙な焦りと不安に駆られた。

休日に自由に使える時間が少しずつ増えてきた実感はある。しかし、毎日のノルマをスケジュール通りに正確に消化するため、ついに卓上にタイマーを導入することにした。時間を明確に区切ってメリハリをつけたことで、ダラダラと作業することがなくなり、以前ほど激しい眠気を感じずに効率よく進められるようになった。

所属する部署の面談がセッティングされ、上司に対して「現在、図書館にも民間のリワーク施設にも通っていません」と正直に現状を報告したところ、「それなら一度しっかり行ってきなさい」と促された。自分が休職する直前のオフィスは常に喧騒に包まれていたが、今の職場は以前より落ち着いて静かになっており、むしろ図書館の読書室の雰囲気に近くなっているのだと教えられた。さらに、今こうして自分のやりたい勉強や作業ばかりをマイペースにやれている状態とは違い、実際の現場の業務に戻れば、自分のやりたくない雑用や面倒な仕事も強制的に引き受けざるを得なくなるのだと釘を刺された。

2025年8月:リワークへの模索と、焦燥の消失

図書館通いはその気になればいつでも行ける環境にあったが、本格的な復職に向けては「リワーク施設」という新たなステップを探さなければならなかった。急遽、インターネットで近隣の民間リワーク施設をリサーチし、早急に見学の段取りをつける。予定としては9月の1か月間だけ集中的に通所する計画で動き出した。

ネットの情報だけでは仕組みが全く分からなかったため直接施設に赴いたところ、正式にその民間施設と契約を結ぶには、あらかじめ役所の窓口で障害福祉サービス等の申請を行い、「受給者証」を発行してもらう必要があるとのことだった。その受給者証が手元に届くまでには数週間の審査期間がかかるため、本格的な本契約のスタートはどうやら10月頃にずれ込むだろうと言われた。

見学に訪れたリワーク施設は、一般的なオフィスのワンフロアをパーテーションで区切った一角にあり、日々のプログラムに通っているのは常時10名程度のこぢんまりとした規模だった。その施設特有の傾向かもしれないが、通所者のなかでは女性の比率が比較的高めだった。ありがたいことに、正式な受給者証が降りて本契約に至るまでの間も、すでに契約を済ませている他のメンバーと同様に無料で毎日の実習プログラムに参加させてもらえるという。本契約に移行してからは、昼にお弁当が支給されるようになったり交通費の補助が出たりする一方で、利用料そのものは自己負担が発生する仕組みだった。行政の手続きについてもスタッフが手厚くサポートしてくれるというので、少し安心した。

初めて体験通所として参加したその日、スタッフから「市役所の窓口に行って、最新の提出用必要書類をもらってきてください」と指示を受け、その足で役所へ向かって書類一式を受け取ってきた。しかし、専門用語が並ぶその複雑な申請内容を一人で読んでも全く理解できず、役所の担当部署に電話で問い合わせたものの、説明がかえって分かりにくくて混乱してしまい、結局直接窓口に出向いて担当者に質問し直すはめになった。

自宅の机でその申請書類の山を眺めていると、次から次へと不安の種が湧き上がってきた。「自分は本当にこのリワークに通う意味があるのだろうか」「そもそも、こんな複雑な行政の手続きをクリアして自分は本当に受給者証の登録ができるのだろうか」と、頭の中でネガティブな妄想が膨らんでいく。

提出を求められている書類は大きく分けて、本人用の申請書、主治医が書く意見書、そして会社の総務や人事が出す企業用の書類の3点だった。慌ててかかりつけの精神科の診察予約を取り、主治医に相談したところ、医師は快く意見書の前向きな作成を引き受けてくれた。そこから逆算して、会社側とのすり合わせも含めた自分の復職目標の時期は「12月上旬」に正式に決定された。もっとも、普段から精神科には月イチ程度のペースでしか通っておらず、次回の診察日が決まっている関係で、主治医のサインが入った意見書を実際に受け取れるのは8月30日までお預けとなった。

この時期になると、休日はすっかり自分の好きな趣味や絵の制作に時間を使えるようになり、心にゆとりが生まれていた。

平日の1日のスケジュールは、すっかり「通勤訓練 → ちょこザップ → リワーク実習 → 図書館での自習」というフルコースのようになっていた。これまで自分が部屋にこもって一人で黙々とこなしていたノルマの時間が、そのまま外の世界でのリワークと図書館での時間に丸ごと置き換わった形である。リワークプログラムは、基本として朝10時から午後15時までのタイムスケジュールで組まれていた。

リワークでのプログラムは、午前と午後でそれぞれ明確に内容が割り振られており、ある日は午前が集団ワーク、午後は個人の机で黙々とこなす個人ワークといった具合に、週によって柔軟に入れ替わっていた。集団ワークでは、与えられた一つのテーマについて他の通所者たちと輪になって意見を交わし合うものが多く、一人で部屋に閉じこもっていた頃には絶対に得られなかった貴重な経験だった。個人ワークでもそれぞれに具体的な課題が言い渡され、決められた時間内にそれを完遂する形式をとっており、自分がこれまで好き勝手に気楽な勉強をしていたのとは違い、程よい「社会的強制力」が働いていた。

最初のうちは、リワークのプログラムがはねた後でさらに図書館へ足を延ばして自習をする余裕もあり、充実感に満たされていた。もっとも、夕方の図書館の2時間は、座っているだけでも猛烈な眠気との終わりのない戦いだった。

ほぼ本命として今の民間リワーク施設に通う心算で動いていたが、念のため公的機関である千葉の「障害者職業センター」が主催する説明会にも足を運んで話を聞いてみることにした。その説明会の参加者はわずか6人だけで、配られた資料をめくりながら熱心にペンを走らせてメモを取っているのは会場の中で自分一人だけだった。まわりの他の参加者たちの様子を見ていると、どうやら彼らはすでにこの職業センターに通所することを心の中で完全に決めているような、妙な決意の雰囲気をまとっていた。

実際の職業センターの施設内を見学すると、常時50人ほどの利用者が在籍しており、より実務に近い実践的なプログラムが用意されていたり、専門の資格を持ったキャリアカウンセラーが常駐していたりと、サポート内容が非常に手厚く充実していた。もっと早い段階でこの公的機関の存在を知ってここにたどり着いていれば、民間ではなくこちらを選んでいたかもしれないと少しばかりがっかりした。両者の決定的な違いは、職業センター側は費用が「完全無料」である反面、交通費や昼食代の補助は一切出ないこと、そして利用にあたっては最低3か月間の継続的な通所が絶対条件として課される点だった。

リワークの企業提出用資料の作成に関しては、通い始める予定の民間施設側が会社の担当者と直接やり取りをしながら進めてくれるとのことで、その点は大いに助かった。

思い返せば、今年2月に受けた産業医面談の席では「リワークは必ずしも必須というわけではない」と告げられていたはずだった。そのため、本当に今の自分の状態でもリワークを絶対に通わなければならないのかどうか、念のために会社の総務部署へ改めて正式な確認をとってもらった。すると返ってきた返事は「我が社の規定では、長期休職からの復職にはリワークの修了が必須条件となります」というものだった。もし必須であるなら、あの2月の面談の段階でハッキリと言ってくれれば、もっと早い時期からスムーズに行動を起こせたのにと、ガックリと肩を落とした。

なぜかこの時期になって、仕事に対するモチベーションや意欲がすっかりどこかへ消え失せていた。それどころか、復職の目標時期が「12月上旬」と具体的に決まったというのに、不思議と焦りや緊張感はまったく湧いてこない。自分の肉体的な体力や持久力は確かに戻ってきたという実感はあるものの、肝心の「頭の回転」やビジネス脳の働きが、体力の回復スピードに全然ついてきていないような感覚が拭えなかった。

再び気分転換を兼ねて富山の実家へ帰省した。本格的にリワークや復職のプログラムが始まってしまったら、当面はこうして気軽に帰省することもできなくなると思ったからだ。今回の帰省では、最低限の勉強ノルマもこなしつつ、実家の買い物や不要な荷物の片付けを手伝うことを最優先の目標に掲げたが、結局のところ実家の誘惑に負けて勉強のほうはあまり捗らなかった。

2025年9月:手続きの受理と、医師との対話

いよいよ本格的にリワーク通所が始まる時期となり、役所の窓口で必要書類を揃えて一式を提出した。何か細かく厳しい質問やダメ出しをされるのではないかと身構えていたが、担当の窓口はおどろくほどあっさりと書類を受理してくれた。正式な受給者審査の面談日は10月2日に設定され、それまでの数週間が途方案なく長く感じられた。

この頃からは休日であっても平日と同じ時間に無理なく起きるようにし、朝のうちに自宅のトイレ掃除を丁寧に済ませたり、自分の爪を磨いて整えたりしながら自由な時間をやり繰りした。iPadを使って、久しぶりに本格的なイラストを一枚描き上げることもできた。

リワークの集団ワークを通じて学んだこと:

 自分なりの効果的なストレス解消法のバリエーション

 心身が限界を迎える「燃え尽き症候群」のメカニズムと兆候

 気圧や天候の変化がメンタルに及ぼす影響(天気頭痛や天気鬱)

それでも、睡眠時間が少しでも足りていないと、日中のリワークの最中や移動時にどうしてもイライラが抑えられない瞬間があった。寝不足がダイレクトに情緒の不安定さに直結するのは、まだまだ脳の余裕が完全ではない証拠だった。

主治医の診察室で、「先生、一体自分はどういう状態になったら会社から『復職可』のOKが出るのでしょうか」と率直に質問してみた。医師から返ってきた回答は以下のようなものだった。

 「基本的には、今のあなたの生活の頑張りを見ていると、もう復職可と考えて差し支えない時期に来ています」

 「ただ、私は途中からあなたの主治医を引き継いで診ているため、休職する前の元の状態と比べてどれくらい回復しているか厳密な判断は少し難しい面もあります」

 「とはいえ、現在の毎日の取り組み姿勢や、課題の消化状況などをトータルで総合的に考えれば、もう通常の復職は十分に可能なレベルに達していると言えます」

 「会社側から『リワークが必須』と言われてしまったせいで、復帰のタイミングが少し後ろに延びてしまっていますがね」

 「そもそもこの病気は『完全に元の完璧な状態に全快・治癒する』というタイプの性質のものではないため、復職した後も引き続きメンテナンスとしての治療は細々と続けていく必要があります」

 「リワークを実際に一通り終えた後の状態をもう一度最終確認してから、正式な診断書を作成する予定にしましょう」

 「ちなみに、日課にしている図書館通いについては、もう『自分を鍛えるための修行だと思ってただそこに座りに行くだけ』で十分その役割は果たしているのではないでしょうか」

正式な復職許可の診断書は、11月8日の診察日に受け取ることでスケジュールが確定した。

今後の具体的な流れとしては、10月の1か月間みっちりと民間リワーク施設に通い、その直後に再び富山へ帰省し、職場での「試し出社期間」(通常は約1か月間を想定)を経た上で、12月上旬に完全復帰を果たすという筋書きが綺麗に整った。

朝の支度や身支度をバタバタさせず、心に余裕を持たせた状態で家を出るとその日一日が穏やかに過ごせるという発見は、まさにその通りだった。前日の夜のうちに持ち物や洋服の準備をしっかり済ませておく必要があるが、この習慣は今後も長く続けていきたいと思った。

これまで平日の木曜日を「大掃除の日」と決めていたが、どうせ土日も早起きがすっかり定着しているのだから、週末の朝にまとめて片付けてしまったほうが効率が良いと考え、掃除の曜日ルーティンを見直すことにした。

この時期から、ひそかに自分のブログを開設して文章を書き始めることにした。誰が読んでいるのか不特定で手探り感の強いFacebookとは違い、ブログは毎日の閲覧数(アクセス数)が数字としてハッキリと可視化され、世の中の不特定多数の読者が訪れるメディアであるという点が執筆の動機だった。iPadの画面でイラストを描く趣味よりも、この時期の自分は、キーボードを叩いてブログに日々の鬱屈した気持ちを書き出す作業のほうが圧倒的に夢中になれた。

体重計にそっと乗ってみると、ついに数字は78kgを大きく下回っていた。地道に続けてきた食事の管理や運動の成果が、数字という目に見える形でしっかりと表れてきたようだ。

産業医との定期面談の席で、「今回の復職に向けた試し出社期間は、1か月もない短い期間になります」と言われ、頭の中が一時的に混乱した。

図書館通いについても、最近はただ座って時間をやり過ごしているだけで自習としての意味が薄れていたため、思い切って通うのをやめることにした。「もう頑張らなくていいか、これで十分だ」と自分のなかで区切りをつけられるようになっていた。

毎日の通勤訓練では、電車のなかで心地よい眠気に負けて目的地を寝過ごしてしまうトラブルが増えた。振り返ってみれば、リワーク施設の休憩室に置かれているドリンクサーバーが飲み放題で、そこでついコーヒーばかりガブ飲みしていたのが睡眠の質を狂わせた原因かもしれないと気づく。

リワークのプログラムでは、週に1回、金曜日の午後になると「カフェタイム」と称された全員参加の雑談の時間が設けられていた。失いかけていた社会人の雑談力やコミュニケーション感覚を取り戻すためのプログラムなのだが、まわりを取り囲むのが女性の受所者ばかりという環境の中、自分から話題を振って会話の輪を広げるのは想像以上にハードルが高かった。

ある日のリワークの最中、通所者の何人かから「あれ、髪型変えました?切りました?」と声をかけられた。見れば一目瞭然で分かるだろうに、と内心ツッコミを入れたが、これも施設側が用意してくれた立派な「会話のきっかけ作りのコミュニケーション」なのだと後から気づいて感心した。

2025年10月:リワークの正式通所と、迫る復職の足音

受給者認定の調査を担当してくれたのは、いかにも気さくな近所のおばちゃんといった雰囲気の女性で、他愛のない世間話を巧みに織り交ぜながら、会話のなかにさりげなく重要な質問を混ぜ込んでくるスタイルだった。ここぞという核心的な質問のときだけ、ぴたりと表情のトーンが変わるのが妙に印象に残っている。

ひととおりのヒアリングを終えると、「はい、本日の面談の聞き取りはこれで終了です。明日からこちらの民間リワーク施設に正式に通所をスタートして大丈夫ですよ」と告げられ、無事に障害福祉サービスの受給者としての正式な調査が完了した。

リワークのプログラムに通い詰めている最中であっても、ふとした拍子にイライラが爆発しそうになる瞬間が何度かあった。心の中にストレスや不満の澱が溜まっていくのは決して良い兆候ではなく、リワークで学んでいるはずのコーピングスキルやメンタルコントロールの効果が、まだ自分の体内で十分に機能しきっていない証拠なのかもしれないと感じた。

利用できる期間が「1か月間」という限られたタイムリミットしかなかったため、「その短い期間の中で何かしらの目に見える成果を出さなければいけない」という見えない焦りが常に心の隅にあったのも事実だった。考えてみれば、あえて少し軽めの試練を自分に与え、それを短い期間内で乗り切らせる経験を積ませることも、このリワークプログラムが仕組んだ実践的な作戦の一つだったのかもしれない。

10月の中頃には、楽しみにしていたAKB48の握手会イベントが開催された。そのイベントに参加した翌日は、嘘のように身体が軽く感じられ、毎日の通勤訓練の道すがらにワイヤレスイヤホンを耳にはめてお気に入りの音楽を存分に楽しめるようになっていた。これは自分のメンタルにおいて確かな一歩前進だった。

いよいよ現実としての「復職」が間近に迫っているというプレッシャーをひしひしと感じ始め、ふと気がつくと心が暗い影に覆われてどんよりと落ち込んでいる自分がいた。会社のオフィスのなかに戻ったとき、本当に自分の思い描く通りに頭が働いて仕事のパフォーマンスを発揮できるのか、周囲の人間関係のなかに飲み込まれて自分の軸を見失わずに働き続けられるのだろうか――その不安をどう受け止めるかが鍵になると痛感した。

予定通り、11月8日には会社へ提出するための「復職許可の診断書」を正式に主治医から受け取れることが決定した。

もし万全の再発防止策を講じてリワークを無事に修了したとしても、それでもなお復職後に病気が再発してしまうようなことがあれば、そのときはもう未練なくこの会社を自分の足で去るべき「潮時」なのだと、心のどこかで密かに覚悟を決めている。

自分のなかに根深くこびりついている「完璧主義」の気質については、正直に言えば、これまでの20年以上にわたるサラリーマン生活の中で染みついた生活習慣や思考の癖が主な原因になっている部分がかなり大きいと思う。だからこそ、これからの人生を生き延びるためには、その根深い癖を少しずつでも手放して変えていかなければならないのだろう。

この時期の生活リズムは、休日であっても平日と寸分違わない早起きをキープしていた。朝の冷たい空気のなかで通勤訓練の道のりを歩き、そのままジムへ寄って汗を流し、指定された時間にリワークの施設へ顔を出すという、隙のない完璧な生活の流れが自分のなかにガッチリと組み上がっていた。

ある日、いつものようにちょこザップのランニングマシンを使おうとしたところ、あいにくすべてのマシンが埋まっていて空きがなく、その日は予定通りに走ることができなかった。たったそれだけのイレギュラーな出来事だったのだが、その日の身体のコンディションがどうもしっくりこず、一日中調子が狂ってしまった。自分にとって「走る」という行為は、単なる運動の枠を超えて、日々のストレスを綺麗に洗い流し、乱れた身体のバランスを整えてくれる不可欠な儀式になっていたのだと改めて思い知らされた。

自分には、ちょっとしたことでイライラを溜め込みやすい偏った傾向があることも、このリワークの日々を通じてハッキリと自覚できた。もしあの時、自宅に引きこもったまま一人で地道にペラペラのノルマをこなすだけの生活を続けていたとしたら、自分のこうした内面の歪みに気づくことは一生なかっただろう。家の中で一人でいるときは、関わる人間といえば月イチの病院の主治医くらいのもので、誰かと衝突する余地すらなかった。しかし、リワークという小さな社会の縮図に飛び込み、現場のスタッフや他の多様な通所者たちと密に関わり合うようになったことで、摩擦や些細なイライラを感じる生々しい場面に直面し、自分の弱点をまざまざと知ることができた。それは結果として非常に大きな収穫だった。