2025年1月:帰省の賑わいと、積年の振り返り

年が明けて28日から、私は富山へと帰省していた。ファボーレ富山に足を運び、お気に入りのオムライスを頬張り、髪を切り、コメダ珈琲で一息つく。ラーメン屋「無鉄砲」の味を確かめ、「サウナタロトヤマ」の熱に身を委ね、まるたかやで再びラーメンをすする。おせちをつまみ、初詣を済ませ、再びサウナタロトヤマへ。そしてスターバックスへ立ち寄る。

実家での日々は息つく暇もないほど忙しく過ぎ去ったが、余計な不安や嫌なことを考える隙すら与えなかったその忙しさが、当時の私にはむしろ心地よかった。初めて挑戦した「スマートライトレター」の真新しい響きに、ほんの少し前向きな気持ちが湧く。

病気になってからの歩みを振り返る作業に、ようやく区切りがついた。膨大な時間がかかったが、それだけ自分の回復にはまだ途方もない時間がかかるという現実を突きつけられた思いだった。およそ20か月という長い休職期間の中で、純粋に体調が良かったと感じられたのはわずか1.5か月ほど。これほど動けない日々が続いていたのだから、仕事への復帰が容易ではないのも当然の摂理だった。

この頃の運動のルーティンとして、ちょこザップで45分間黙々と走り続けていた。毎日定時までにやるべきことをリスト化して一つずつ消化していたが、やがてネタが尽き、リストそのものの見直しを迫られる。そんな中、次女から「印刷ができない」と助けを求められ、夢中になってその対応にあたった。誰かのために時間と力を使うことは、澱んだ心に思いのほか心地よい手応えを残してくれた。

指輪屋さんに預けていた結婚指輪は、職人の手によって見違えるほど綺麗になって戻ってきた。無心で自宅の掃除に没頭している時間だけは、胸を締め付ける罪悪感がわずかに薄れていく。一方で、手に入れた対人関係法の本を開いてみると、そこに書かれた内容はあまりにも重く、ページをめくるたびにずっしりと気分が沈んでいった。認知行動療法の本を読んだときはこれほど心を持ち上げられずに済んだのだが、どうやらこの手法は今の私の精神状態には合わないらしい。

生活リズムを整えようと、朝8時半から夕方17時半までのスケジュールを厳格に定めて過ごしてみた。規則正しい面もあったが、それ以上に「きちんとしなければならない」という強迫観念が働き、かえって自分をすり減らしているような疲労感に襲われる。私はどうやら、何事においても力を抜きすぎて休むということが苦手な性質らしい。

ある時、ふと魔が差して会社のiPadを開いてしまった。画面の向こうには、どんどん先へと昇格していく後輩たちの姿がある。「病気で休んでいるのだから仕方がない」と頭では割り切ろうとするものの、その感情の切り替えがあまりにも難しくて心が波立った。息抜きにとサウナへ足を運んでも、そこには常に「こんなことをしていていいのか」という罪悪感との戦いがつきまとっていた。

赤本を手放したことをきっかけに、軽い気持ちでメルカリを始めた。最初は「休職中の身でこんな片手間なことをしていて良いのだろうか」と躊躇し、定時内にフリマアプリの作業をしていいものかと深く悩んだ。「断捨離の一環なのだから、定時の仕事と割り切っていいのでは」と言ってくれる声もあったが、どうしても自分の中でその境界線をすっきりと整理することができない。

それでも、月の後半に差し掛かると、休日に少しずつ自分の好きな趣味へ時間を割く余裕が戻ってきた。テレビをつければ、画面の向こう側は連日フジテレビの話題ばかりが騒がしく流れていた。

2025年2月:メルカリの熱狂と、小さな決意

午前中はちょこザップのランニングマシンで汗を流しながら、アニメ『薬屋のひとりごと』を観ようと試みた。しかし、あまりにも登場人物が多くて名前が覚えきれず、途中で断念してしまった。決して作品がつまらなかったわけではない。午後はいつも通りノルマをこなそうと机に向かったが、窓の外のあまりの快晴に「家の中にこもっているのはもったいない」と思い立ち、急遽外を歩くことにした。時間内にノルマは終わらなかったが、その散歩は何物にも代えがたい良い気分転換となった。

メルカリの勝手が分かってくると、家に眠っていた使わなくなったiPhoneを次々と売りさばくことに成功した。さらに家中の引き出しを開け、売れそうなものはないかと探し回るのが日課になっていく。次女が心を病んでいる様子を見て、自分なりのストレス解消法をまとめて手渡したものの、結局それは使われることなく終わった。カメラが売れた高揚感のせいで興奮が収まらず、夜になってもなかなか寝つけない夜もあった。この頃、体重は82kgをわずかに切り、昼休みの隙間時間さえもメルカリの段取りに費やしていた。

定時まではノルマをこなし、それ以降の時間はすべてメルカリの出品や梱包、発送作業に没頭する。そんな日々に終始し、気づけば一日があっという間に溶けていく。「自分は一体何をやっているのだろう」と、ふと手が止まって自己嫌悪に陥る瞬間もあった。そんな中で、なぜかこのタイミングで「ゆうパケットポストmini」を初めて使い、その便利さに驚く。机の上の不要なモニターを撤去したら驚くほどスペースが広がり、視界が開けたように気分がすっきりした。だが、そのモニターをブックオフに持ち込んだところ査定はまさかの0円。まだ壊れていないのになぜかと首を傾げたが、現実はそんなものだった。気づけば体重は80kgの壁を割っていた。

認知行動療法の教えにある「いつもやらないことへの挑戦」として、インターネットでホワイトデーの注文を自ら行ってみた。さらに、卒業してしまえば二度と手に入らないという焦燥感から、メルカリで推しである込山榛香のグッズを片っ端から買い集めていく。日曜日は、平日に作業の手を止めたくなくて、ひたすらメルカリの発送準備に追われていた。

産業医面談の席で、「リワークは必須ですか?」と尋ねてみた。返ってきた答えは、「リワークが必要かどうかは主治医と相談すべきものであり、絶対に受けなければならないわけではない」というものだった。その帰り道、ドトールの席に座ってこれからの生活の作戦を静かに練り直した。

 寝る時間と起きる時間を明確に固定する

 家を出る時間と乗る電車の時間をあらかじめ決める

 電車に乗る日は必ずスーツを着用する(最初は水曜日だけでいい)

 朝ドラの視聴はビデオに録画して後から見る

 日中のスマホは定時まで見ないように自制する

まずは週に一度、水曜日を起点にして、ほんの小さな一歩から始めてみることに決めた。

2025年3月:東京の寄り道と、新たな世界の扉

産業医から「1日8時間図書館に通うことが、会社に近い生活リズムを作る訓練になる」と言われた。しかし冷静になって考えてみると、そもそもデスクに8時間座り続けということ自体が健康によくないのではないか。在宅勤務の経験がある自分には、家に一人でいてもサボったり遊んだりしないという変な自信があった。

カウンセリングの帰りに新宿へ立ち寄る際、これまでは用事が済むと一目散に自宅へ引き返していたが、この日は意識して寄り道を作ってみることにした。

 せんきちに立ち寄り、熱々の「カレーうどん」を食べる

 千駄ヶ谷のEXCELSIORで温かい「ミルクティー」を飲む

 浅草橋のシモジマに寄り、文房具の並ぶ棚を眺める(やはり文房具を見ている時間は心が弾む)

 東船橋のちょこザップで軽く汗を流してから帰路につく

この頃になると、日記に書き連ねるようなネガティブなネタが目に見えて減り、確実に状態が上向いている手応えがあった。Excelの基本的な勉強をしていても、「今のパソコンはこんなことまでできるのか」と純粋に驚く余裕が生まれてきた。

推しである込山榛香の「写真集お渡し会」に足を運び、本人を目の前にして大満足の時間を過ごす。いつまでもAKB48の舞台に立ち続けていてほしいと心から願った。日曜日であっても平日と変わらず朝6時に目を覚まし、自分のやりたいことに思いきり没頭する。水曜日には通期のシミュレーションを組み立てるなど、着実に日常を取り戻しつつあった。

街を歩いていて見つけた雰囲気の良い珈琲店を気に入り、「次回からもここで作業しよう」と心に決める。毎週同じ曜日に通ったら店員に不審がられるかもしれないな、と他愛のない心配をしたりもした。ファイナンシャルプランナーという資格について調べてみると、それが国家資格であることを知る。同じ国家資格であっても、自分が持っている一級建築士の資格は今の生活の何の役にも立っていないと感じてしまい、ふと情けなさがこみ上げた。

家族5人で房総への家族旅行に出かけた。あいにく歯の痛みに悩まされて苦労はしたものの、それでも旅の時間は十分に楽しめた。どうやら私は、旅行という非日常のイベントに出かけると決まって歯が痛くなる体質らしい。メルカリの画面で見かけた「NFT」という見慣れない言葉に興味を惹かれ、それをきっかけに仮想通貨の仕組みまで調べるようになった。小説を読む気力が再び戻り、物語の世界に浸る時間が純粋な楽しみへと変わりつつあった。

かつて在宅勤務に追われていた頃の記憶がふと頭をよぎり、その重苦しさに一時的に気分が悪くなる。津田沼のモリシアが3月末でいよいよ閉店するというニュースを聞き、その終了間際の5日ほど前に足を運んでみたが、そこにはなんとも言いようのない寂しい光景が広がっており、またしても気分が沈んでしまった。メルカリのノウハウ本をメルカリで購入して読みふける。久しぶりに会社のiPadの画面を開いてみると人事広報が更新されており、かつての後輩が昇格を果たしていた。自分がこれまで会社に捧げてきた時間は正しかったのだろうかと、抑えきれない複雑な思いが胸の奥で渦巻いた。

2025年4月:通勤訓練と、広がる興味の矛先

勉強はすべて「定時内」に行うこととルールを決め、建築というこれまでの専門分野に限らず、少しでも興味を惹かれた分野なら何でも貪欲に学ぶことにした。逆に、定時を過ぎたプライベートな時間は一切勉強をしないと固く誓う。朝ドラ『あんぱん』は、通勤訓練のスケジュールとの兼ね合いもあり、土曜日に一週間分をまとめて視聴するスタイルに落ち着いた。勉強自体は新しい知識が入る楽しさがあったが、その先に見据えるべき具体的な目標が定まっていないため、どこかフワフワとした空虚さも抱えていた。

当時の通勤練習は、会社の最寄駅まで実際に足を運んでから引き返すルートを試していたが、往復だけで2時間以上を消費してしまい、毎日の日課としては現実的ではなかった。そのため、途中駅で折り返す形へと計画を修正する。iPadを使ってイラストを描く新しい趣味を始め、アップロードしたNFT作品を巡って海外のユーザーとちょっとしたトラブルに巻き込まれる一幕もあった(詳細な経緯は割愛する)。

この時期の生活リズムは、午前中に通勤訓練とちょこザップをこなし、午後は定時まで机に向かって勉強するという堅実なサイクルが定着していた。自分自身もそうだったが、妻もまた「いざ仕事に復帰したとき」のシミュレーションばかりを気にしていた。しかし、いつまでも「復帰後に何ができるか・できないか」という不安に囚われるより、今は「復帰のために与えられた休養の期間」なのだと割り切り、今のうちに興味のあることは何でもやっておいた方が後々必ずプラスになるはずだと思えるようになってきた。

ちょこザップでの運動メニューも曜日ごとに整理され、月・水・金はランニング、火・木は筋トレと明確に切り分けていた。妻から引き継いだトイレ掃除の役割をこなす中で、「そんなに神経質にピカピカにしなくてもいいのでは…」と内心思いつつも言われた通りに手を動かす。休日は、午前中に録画したテレビ番組を消化し、iPadのキャンバスに向かって絵を描くことで穏やかに時間が過ぎていった。

2025年5月:揺らぐ気力と、新しい試みの模索

頭のどこかでは、そろそろ仕事への復帰に向けて気力を振り絞らなければいけないと分かっているはずなのに、なぜかそのモチベーションは日に日に薄れていく。「いっそのこと、このままのペースで暮らしていけないだろうか」と現実逃避を考えてしまう自分が情けない。20年という長きにわたって同じ仕事を走り抜けてきたというのに、今のこの腑抜けたざまを見ていると、情けなさと虚しさが同時に押し寄せてくる。

ゴールデンウィークの平日はさすがにちょこザップへ通ったものの、それ以外の時間はすべて完全な自由にあて、後半の4連休にいたってはジムの扉すら叩かなかった。久しぶりに開いた会社のiPadには、自分の部署が別の誰かによってしっかりと回されている現実が映し出されていた。当然のことながら、自分という人間の存在がなくても組織は何事もなく動き続けている。いざ戻ったとして、自分に果たして居場所や役目があるのだろうか、とまた悪い思考の癖が顔を出す。それでも、客観的に見れば体調そのものは着実に上向きのカーブを描いていた。

この頃はiPadで絵を描くことに夢中になっており、画面のペンを動かしている間だけは、時計の針が進むのを忘れることができた。日々の勉強に向き合っていると、「どうして大学生の頃はあんなに膨大な自由時間があったのに、少しも勉強も読書もしなかったのだろう」という今更な後悔が頭をよぎる。社会の荒波に放り出されてからは仕事に全力を注ぐだけで精一杯で、自分のために学ぶ余裕など微塵もなかった。

毎日の日課は「通勤訓練 → ちょこザップ → 午後のノルマ(勉強や掃除)」という鉄の意志のようなルーティンになっていた。ただし、昼寝の時間が少しずつ長くなってきたことに気づく。「机に座って机上の勉強を続けることが、果たして本当に今の自分にとって正しい休養になっているのだろうか」という疑問が頭をもたげてきた。それまでノルマの時間は「40分」などとタイマーで厳しく区切っていたが、思い切って「嫌になったらその時点でやめる方式」に切り替えてみることにした。

主治医からも「毎日キッチリノルマを課すのも悪くはないが、平日に1日くらいは完全に何もしない日を作ってみたらどうか」とアドバイスを受けた。そこで、試験的に水曜日を「休養の日」とし、ちょこザップで汗を流した後は勉強を一切せず、そのままサウナへ直行するスケジュールを組んでみた。サウナの熱で心身ともに溶けるように心地よくなれるかと期待したが、いざ浴室内でくつろいでいると、不思議と胸の奥から罪悪感が這い上がってきた。急激に生活のリズムを変えたせいだと思い直し、翌週も懲りずに同じ試みを続けてみることにした。

ノルマとして設定していた本は次々と読み終わり、知識の引き出しは増えていった。しかし、読みたい本はまだ本棚に山ほど控えているため、このペースを維持していくことにする。途中、「心理学」の専門書を読破しようと意気込んだものの、難解な文章を追っているうちに激しい不快感と頭痛に襲われ、あえなく途中で断念せざるを得なかった。なぜか週末になると、iPadのペンを握る気力が嘘のように消え失せている。無理やり翌日に描いてみるとそれなりに楽しく、アニメ動画なども観られたが、心身には確かな疲労の色がにじみ出ていた。

床屋の椅子に座り、伸び切った髪をバッサリと切り落としてもらうと、頭の軽さとともに滞っていた気分が一気にすっきりと晴れ渡った。カレンダーをめくるたびに、「もう5月が終わってしまう。自分はいつになったら完全に治るのだろう。復職のタイムリミットはいつなんだ」という焦燥感が心を引っ掻く。

翌週の水曜日も、予定通りサウナへ足を運んだ。前回のような不快感や重度の罪悪感に襲われることはなく、今回は比較的穏やかな心持ちで過ごせたので胸をなで下ろす。ベランダに真新しい人工芝を敷き詰めたところ、その慣れない作業のせいか夕方になると急激な猛烈な眠気が襲ってきて、午後のノルマは全く進まなかった。眠気が限界に達しているというのに、無理やり気力を奮い立たせて作業を続けることが、本当に自分の回復にとってプラスになるのだろうかと改めて深く疑問に感じた。

ノルマの消化に追われていると、とにかく神経がすり減るように疲弊する。内容が脳の表面を滑っていくだけで頭に入りづらく、なんとか理解しようと必死になるほどにエネルギーを吸い取られていく。机の前に座っている時間そのものが苦痛に感じられることもあり、もう少し肩の力を抜いて、リラックスした姿勢で机に向かえるようになりたいものだと思案していた。

2025年6月:模索する日々、そして富山へ

社会復帰の日に向けて、会社のオフィスに履いていっても違和感がなく、かつ運動もしやすい一石二鳥の靴を探し回る。世の中の他のクリエイターたちが作ったNFT作品を眺め、その市場の仕組みを独学で勉強し始めた。チャットGPTに関する入門書も読破する。世の中が急速に便利になっていく恩恵を感じる一方で、「人間の頭を使わなくなっていくような、この急速な便利さは本当にこれで良いのだろうか」という漠然とした恐怖と疑問が湧いてきた。

ノルマへの向き合い方も変え、あらかじめ決めた時間や義務感に縛られるのではなく、「その時々に自分がやりたいと思ったことを、やりたいだけの時間だけ行う」という柔軟な方針へとシフトした。ちょこザップのランニングマシンで息を切らして走っている最中も、次にどの動画を画面に流そうかとそればかりを考えている自分がいる。「定時まできっちりノルマをこなすのではなく、いっそ作業時間を短縮してみてはどうか」というアドバイスを試してみたが、どうやら自分の生真面目な性格にはその時短スタイルは合わないらしかった。勉強机に向かってもどこか投げやりな空気が漂い始め、いよいよ勉強そのものが嫌いになりかけているサインかもしれないと感じる。

イラストを描くことへの情熱も少しずつ薄れてきたが、それでもいざ描き始めると目の前の線に全神経を集中させられるため、心の安定剤としてはやはり有効な機能を果たしていた。病気を根本から治すために自分が何をすべきなのか、その正解の道筋がすっかり霧の向こうに隠れて見えなくなっていた。

水曜日はサウナへの外出をあえて控え、朝から晩まで一日中iPadの画面と向き合って絵を描き続けた。多少の罪悪感はつきまとったものの、絵の世界に完全に没頭していたせいか、普段ならつきまとう雑念や余計なことを考える余裕は一切なかった。お風呂の湯船から上がった後も、夜の静けさの中でペンを動かし続けた。

昼一番のタイミングで家事や雑用を片付けると、眠気が吹き飛んで目がはっきりと覚めるという小さな発見があった。NFTのコミュニティを通じて海外の様々な人々とチャットで言葉を交わす機会が生まれたが、フタを開けてみればその大半が巧妙な詐欺や怪しげな勧誘ばかりだった。

この時期に決めたマイルール:

 仕事に関連する勉強は行うが、少しでも不快感や拒絶反応があれば即座にやめる

 定時の時間帯の中で力尽きたと感じたら、無理をせずiPadで絵を描く時間に切り替える

 富山へ実家に帰省した際は、最低限の運動以外は勉強のことは一切忘れて極力何もしない

心身のリフレッシュを兼ねて、久しぶりに富山へと帰省した。現地のちょこザップで体を動かした後は、実家の自室にこもってひたすら絵を描いて過ごす。水曜日だったこともあり、午後からは迷わず「サウナタロトヤマ」の暖簾をくぐった。湯船に浸かると体の芯から心地よさが広がり、東京でいつも感じていたあの重苦しい罪悪感は不思議とほとんど湧かなかった。

翌朝、目が覚めてスマホを確認すると、出品していたNFT作品が無事に売れている通知が入っていた。初めての売買成立に、胸が跳ねるような大きな喜びを感じた。その日の午後は、今週すでに2回目となる「サウナタロトヤマ」へ足を運ぶ。精神的な安定度でいえば、どうやら東京の自宅にいるよりも、故郷の富山に身を置いているときのほうが圧倒的にコンディションが良いのではないかと実感した。

千葉の自宅に戻り、生活のルールを微調整。朝6時過ぎという早い時間にちょこザップへ通い、運動のノルマをその日のうちにスパッと達成してしまう方式に変えた。やるべきことを午前中のうちに片付けてしまえば、その後の時間はまるごと自由になるため、精神的な解放感が段違いに良かった。

千葉に戻った途端、現実の通勤練習は週2回から週4回へと一気にペースが引き上げられた。夕方になると、かつての習慣のなごりか、やはり激しい眠気が襲ってくる。「こんな不安定な体調のままで、本当に週5日、毎日8時間のフルタイム勤務を完遂できるのだろうか」という不安が頭から離れない。

職場の上司との間で定期的な面談が実施された。会話の半分ほどは世間話のような他愛のない内容で、残りの半分で現在の会社の状況と、自身の病状の経過についての確認が行われた。どうにかこうにか波風を立てずにやり過ごすことができ、どっと安堵の息をもらす。休日のスケジュールは、基本的にiPadでイラストを1作品仕上げることを自分への目標に設定していた。相変わらず、日中のだるさと眠気に襲われる日が続く。