前項「TACO」で、MAGA(アメリカを再び偉大な国へ)をもじって「ブラジルを再び偉大な国へ」との文言をプリントしたTシャツを掲げた。

無知な私は「”再び”というには、過去に偉大であったことがあったのだろうな」と思った。本当です。

 

ここで、昔、日本が尊敬されていた時期(冴えない今ではなく、日本経済が光輝いていた時代だからそれほど昔ではない。80年代最後の頃か?)に耳にした小話を思い出した。

 

長らく「未来の国」ともてはやされてきたブラジルだが一向にその未来が現れないブラジル。

歴代政府はどうしたものかと頭を痛めていたが、ある閣議で切れ者の大臣が素晴らしい発言をした。

「日本を手本にしよう!大国と戦い、敗戦で廃墟となったが今ではどうだろう!アメリカという超大国に負けてもすぐに回復し世界一流の経済国になりこんなに繁栄している!我が国もアメリカと戦争をしよう!」

他の閣僚たちは驚き喜び、「そうだそうだ!!!さすが当代最高の頭脳だ!すぐに始めよう!」と一斉に叫んだ。

 

興奮さめやらない中、後ろの後ろに控えていた技官が小さな声で「でも、もしブラジルが勝ったら?」とつぶやいた。

 

お粗末でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

トランプ大統領にまつわる造語 TACO (Trump Always Chickens Out) が広まってから数か月経つが、今日のプーチン会談はどうなるだろう!

また、MAGAの別の意味 Make America Go Away 3月のバンス副大統領のグリーンランド訪問時に広まった。

 

 

さて、ブラジル政治には昔からこんな言葉がある。

「右派は右手で取り(盗り?)左派は左手で取る(盗る?)」

 

お粗末さまでございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

私は何十年ブラジルに住んでいてもサッカーに全く興味がわかず、ルールも知らない。

カズや、ブラジルの有名選手やチーム名位は知っているが(知りたくなくても毎日すさまじい量のサッカーニュースに囲まれいやでも自然と覚える)。

 

ところで、ある新聞のスポーツ欄(いつも全く見ない)にある日、カズの顔写真が載っているコラムを見つけて思わず読んでみた。

勿論何が何だか分からない箇所も多いが、ブラジルが大好きで、観察が深く、それ以上に、すごい名文であることに感銘を受け、虜になってしまい、カズの写真があると必ず読むようになった。サッカーそのものには興味がわかず、ルールも知らないことにその後も全く変わりはないが。

 

7月4日のコラムはここ

あなたもどうか一度読んでみて下さい。

 

P.S.

ブラジルではサッカーをフッチボルと呼ぶ。

ブラジルにはイギリス人が持ち込んだ(教えた)と言われ、そのためブラジル人は英語のfootballをブラジルなまりでフッチボル(futebolと表記)と発音したためと言われる。

 

ブラジルが誇る写真家セバスチャン・サルガド(Sebastiao Salgado)が先月末亡くなった。

 

 

 

パリで。

 

パリは昔から芸術家はもとより、亡命者や反政府人など多くの外国人を受け入れてきた。

ブラジルからも、1964年の革命から20年続いた軍事政権下では多くの追放者が出たが、反政府のインテリ、芸術家、政治家達も自主亡命してパリに住んだ。

 

その中の一人フェルナンド・エンリケ・カルドーゾFernando Henrique Cardoso1994選挙で大統領に。

”亡命”以前にパリ大学に留学したが、自主亡命先にもパリを選択。夫人のルッチ・カルドーゾ(Ruth Cardosoも学者(人類学者)で、パリでは夫より先に大学教授になり、財政的にも夫を支えた。

帰国後、サンパウロ大学、ケンブリッジ大学教授などを歴任後政治家に。

 

ルッチはサンパウロ生まれの全くのブラジル人であるが、興味深いことに学位論文のタイトルは「家族構成と社会移動性・・・サンパウロ州に在住する日本人に関する研究」(*)(Estrutura Familiar e Mobilidade Social・・・Estudo dos Jeponeses no Estado de Sao Paulo) というもの!

更には、大統領就任式に着用したドレスが日本人デザイナー イッセイ・ミヤケのプリーツドレス。価格が僅か500ドルということで、マスコミは大いに盛り上がった。前任者の夫人はパリまで買いに行ったし、軍政時代の夫人達の着用したドレスはみな豪華できらめく美しさだったことは本当に記憶に新しいことだったのだから。

 

(*)日本語版は、日伯修好通商航海条約締結100周年を記念して翻訳されたもの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フェイラとは、都市部の住宅地で週1回開かれる朝市のこと。

(Folha de Sao Paulo という新聞に載ったフェイラの画像がここ↓で見られます。Feiras livres de SPという見出しのすぐ下、矢印に沿って12枚あります)

 

昔は、近郊の農家が自分のところの作物を持って来て売っていたのだが、今は専門の商人が市場から買い入れてくることが多い。野菜、フルーツを中心に、魚(巨大な冷凍車でやってきて横のドアを開け広げて売る)、鶏肉、卵、花、日用品などが売られる。サンパウロ市内では、豆腐、コンニャク、納豆等を専門に売る屋台もある。近年は大手スーパーが競って新鮮な野菜を農場から直接仕入れており、いつでも安く買えるようになったため、フェイラはどこでも縮小傾向にある。

 

ある会社の合弁事業の工場落成式列席のために日本側本社の社長が来た際、夫人を近くのフェイラに案内したところ、「まー!。日本だったら捨てるような野菜が売っている!」(その通り!)と驚いていたが、こんなことにも地域格差が如実に表れている。

(そのフェイラがあったのは、ある州都の近郊で奥地ではない)

大都市のフェイラではそんなことはなく(と思う)、「ブラジルの八百屋」項でも紹介したように店舗でも新鮮さに力を入れた店が多い。

 

私がフェイラに特に興味を持ったことは次の3点。

 

① フェイラは12時頃には終了。すぐに市の清掃部門が来て、道路を大量の水と洗剤で大掃除。そのあとは何事もなかったようになる。地面に散らばった野菜の小片、常時魚を洗ったための汚水、大勢のお客とフェイランチの大声で大変だったのに。

 

② ネギの売り方。すき焼きに入れるような太いネギはなく(と思う)、2~3本の小葱が少しのイタリアンパセリと束ねて売られている。イタリアンパセリは小ネギより短くしてあり、幾分下の方に位置し、時によってはそのパセリの茎で結わえられていて中々風流。サンパウロ市内では、束の下の方にこのような4㎝位の真っ赤な唐辛子が添えてある。色のコントラストの美しさだけでなく、何だか生け花のようだ。

因みに、ネギの呼称は色々あるが、私のお気に入りは cheiro verde (シェイロ・ヴェルジ。緑の香り)。名前からしてしゃれている。

 

③ 最も有名なブラジル食「フェイジョアーダ」に必ず添える野菜 couve (コウヴェ。ケールのこと。細く(ほそく)切って炒める)。これは細くすればするほど美味と言われるが、1~2㎜に切ることは器用な日本人にはできるかも知れないが、普通は無理。そこで、ブラジルのスーパーでよく見られるハムやチーズのスライサーを大きくしたような器械を設置してその場でスライスしてくれる屋台もある。勿論、これを置いていない屋台よりずっとよく売れる。

 

 

バチカンは5月8日、教皇選出のための会議「コンクラーヴェ」で米国出身の枢機卿を新教皇に選出した。

選出のための投票は、外部の影響を徹底的に避けるため「鍵をかけ」た会議場で行う。

 

ブラジルにはこの会議に出席し投票する資格のある枢機卿は7人おり、中でもレオナルド・シュタイナー枢機卿 がある程度有力と目されてきた。名前ですぐ分かる通りブラジル南部出身のドイツ系だが、アマゾン地域で長い間貧困問題や環境保護に積極的に取り組んできた人。

 

コンクラーベとはラテン語でcon clavis、ポルトガル語ではcom chave、すなわち、

「鍵をして行う」という意味。

ということで私はブラジルでの貴重な経験を思い出した。

 

カトリックでは(プロテスタントでもそうかも)、カーニバルと同時期に行う retiroという習慣がある。日本などキリスト教信者が少ない地域ではなじみがないが、教会関係者や修道者ではない俗人がカーニバル期間中、俗世界を離れ修道院で神への祈り・聖書の読み込みなどのみを行って過ごすというものだ。

聖書も持っていなかった私は興味しんしんで申し込んだ。

持ち込み可能なのは衣服と聖書のみ。一人1室の部屋は8帖位の広さで、あるものは固いベッド、サイドテーブル、粗末で頑丈なクローゼット、聖書読みのための台のみ。三食つき。精進料理風なメニューで、特にオクラのスープは驚くほど美味しかった。

1日に数回聖書の勉強会のようなものがあったが私は参加しなかった。

多分分からないだろうと思ったので。

修道院は大通りから2~3分入った場所だが、騒音は皆無。よく手入れされた庭、礼拝所、居住部分、鳥の鳴き声、大きな木々のため涼しくさえ感じるここは世界的に有名なカーニバルの喧騒とは別世界。

退屈で庭をウロウロしている時、私は中年の女性(中小企業の経営者)から声をかけられ、「毎年来る。一年で一番貴重な時。俗事を全て忘れて至福の時」と幸せに満ちた顔で言われた。修道女らにも優しい声をかけられ、私はそれだけで幸福感を感じた。皆、何と穏やかな話し方なのだろう。

当時は退屈で死にそうだったので、美味しい食事に惹かれながらも2日でお別れしたが、今考えると何という至福の時だったのだろうと、思い出すだけで幸せな気分に浸れる。

 

 

茹でた又は蒸したブロッコリの花のつぼみの集まりの部分を細かく刻み、炊いたお米に混ぜる。これだけでもすごくきれい!

茹でダコを小さく切り(日本のスーパーで売っているぶつ切りの半分か2/3位の大きさ)、加える。

全体を塩・コショウで味付け、軽く炒める。

直前にオリーブオイルを沢山かけて頂く。

 

こんなシンプルなご飯が何と美味しいことか!

数年間ブラジルに駐在した人から「美味しいので何回も食べた!この料理の名前を教えて」と言われたことがあるが、「ない」というしかない。魚料理に添えるご飯だから。多分ポルトガル起源だろう。

 

日本で作る場合は、お米の種類が違うので、私は炊いてから冷凍したものか、冷蔵庫で固くなってしまったご飯で作る。

上記も、正式にはピラフ用のお米で炊き込むのだろうが、私はレストランの人に尋ねたこともないし、自分流。

かの元駐在員はこれが立派なお料理だと思ったそうだが、上に目玉焼きやソーセージでも添えればお急ぎの時の美味しい一皿になる。私は茅乃舎のだし(粉末)を加えてコクを出す。

 

ところで、ブロッコリはスーパーフードと言われ大変な人気だが美味しいかと聞かれれば私は否!

以前ブラジルの貿易自由化について書いたことがあるが、その時野菜類も大量に流入。ブロッコリもそれまでの地場ブロッコリを押しのけて店に並んだ。地場ブロッコリより美味しくなくかつ高いのに、Brocoli americano(アメリカンブロッコリ)と呼ばれ、よく売れていた。地場産は多分日本でスティックセニョールと呼ばれているもので、日本でも正統派イタリアンではこれを使っている。

 

ただ、この付け合わせご飯に使うのは日本でも流通量ほぼ100%のアメリカンブロッコリなので、ご心配なく。

ああ、でもブラジルの本来のブロッコリは何と美味しかったことか! 見てくれはよくないが(「立派でない」という意味)。

 

ああ、それでは茅乃舎のだしについても触れておかないと!

私は日本に本帰国してすぐ、新聞の大きな広告にある九州の山奥?の茅葺のレストラン(同社の源らしい)を一目見て気に入り、都心の一等地に進出してきた店舗に行ってさらに気に入り、本格的な味が気に入り、それからはほぼ全ての料理にこのだしを使っている。ので、みな同じ味になってしまうという悲劇を味わっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1970年代の軍事政権下を舞台にしたブラジル映画「アイム・スティル・ヒア」(オリジナル・タイトルは「Ainda estou aqui (アインダ・エストウ・アキ」)が、下馬評通り第97回アカデミー賞「国際長編映画賞」を受賞した。その前には主演女優のフェルナンダ・トーレスが、第82回ゴールデングローブ賞映画部門の主演女優賞を受賞している。

 

日本公開は8月。

 

 

日本公開は8月。

音楽にもご注目。ガル・コスタ、カエターノ・ヴェローゾ他がMPBを聞かせてくれる。

8月はまだまだ遠い。今からこれで楽しんでは?

 

 

ブラジルが生んだクラシック・ギターのスーパー・デュオ、アッサド兄弟。

(ポルトガル語表示はSérgio and Odair Assad。ブラジルでは、Assadという外国由来の名は発音しにくく、ブラジル人の発音はアッサジとなること多い。カタカナ表示ではアサジ、アサージ、アサド)

 

その兄弟の20年振りの日本公演が4月25日(金)東京日本製鉄紀尾井ホール、その後大阪、名古屋で行われる。

 

彼らはアンドレス・セゴビアの孫弟子で、すでに80年代にはクラシックの分野で世界的な名声を確立したが、アストル・ピアソラの作品、ショーロ、アントニオ・カルロス・ジョビンなどブラジルのポピュラー・ミュージックも演奏。クラシックの枠にとどまらない、ワイドで自由なギター・デュオのコンサートは見逃すことは出来ない!

 

 

 

 

 

Official site

 

 

 

ルーラ大統領の国賓来日が3月24~27日で調整されている。14日に閣議決定される模様。

国賓の来日は、2019年5月のトランプ米大統領以来、新型コロナウイルス禍で途絶えていたので、コロナ以降初めてになるかも。

 

今年は日伯外交関係樹立130周年の記念すべき年。石破茂首相との会談、宮中晩さん会、経済イベントの日程がすでに決まっており、世界最大の日系人社会を抱えるブラジルとの関係が更に強まることが期待される。