今晩は、所沢市田中則行です。本日22日のNHK総合テレビ大河ドラマ『青天を衝け』第25話「篤太夫、帰国する の巻」のあらすじと今週の渋沢栄一を解説します。
[第25話あらすじ]
帰国した篤太夫(吉沢亮さん)は横浜で杉浦(志尊淳さん)や福地(犬飼貴丈さん)らと再会。幕府が薩長に破れた経緯や慶喜(草彅剛さん)や幕臣の動向を聞かされる。更に恵十郎(浪岡一喜さん)と虎之助(萩原護さん)から成一郎(高良健吾さん)、惇忠(田辺誠一さん)、平九郎(岡田健史さん)のその後を知らされる。成一郎らは彰義隊を結成するも直ぐに分裂し、振武軍として新政府軍と戦うが敗戦。激闘の中、平九郎の行方は分からなくなり、成一郎は箱館へ向かったと言う。頭の中が整理できない中、篤太夫は故郷・血洗島へ戻る。



◆今週の渋沢栄一 (第25回)

◾明治元(1868)年11月、徳川昭武、篤太夫らを乗せた船が横浜に帰港。昭武は小舟に乗り換え、品川の宿へ向かう



◾横浜の宿で、公儀が薩長に負けた経緯、慶喜の動向、小栗の斬首や川路の自害など、日本を離れている間に起きたことを先に帰国していた田辺太一と杉浦愛蔵、外国奉行の福地源一郎から聞く

「正月が過ぎて暫く経ってからだ。突然、上様が大坂から戻られたと知らせが入った」 (田辺)


「そこで初めて御城内の俺達は、鳥羽伏見で公儀が薩長に負けたのだと知った。薩長軍は錦の御旗を揚げ、進軍していた。それに敵対すれば上様は朝敵となる。それを恐れたのだろうと」 (福地)

「上様は上野寛永寺にて謹慎された。江戸の城は戦もなく、薩長軍に明け渡された」 (杉浦)



◾川村恵十郎と虎之助から成一郎を頭取に惇忠や幕臣達で彰義隊を結成したこと、その後分裂し新たに振武軍と名乗って上野を離れたこと、平九郎が命を落とした経緯、惇忠と成一郎は生き延び、成一郎は今 箱館で戦っていることなどを聞く

「成一郎は伏見の戦で肩を撃たれ、兵を引いて大坂に戻れば上様はおらず、城は燃え、それで残った兵の世話をしてからようやく2月に江戸に出た (川村)

「振武軍はあっという間に負けた」 (虎之助)


「平九郎殿は中山道に向かって進んでいたらしい。故郷を目指したのであろう」 (川村)


「多くは果てたが、成一郎と尾高殿は横手村に落ちて逃げ延びた」 (川村)

「成一郎さんは今や、箱館で戦っておる」 (虎之助)



◾小石川・水戸藩邸の徳川昭武を訪ねた折、昭武から慶喜へ文を届け、返事を必ず届けてほしいと頼まれる

「先日、天子様にお会いした。朝廷より水戸に戻り次第、箱館の榎本軍との戦いに兵を出せとの命を受けた」 (昭武)


「そんな…箱館にいるのは元は公儀の忠臣達。それを民部公子様に成敗せよと…」 (篤太夫)



「それにも先ずは、ご主君のご意志を伺わねばならぬと思っております。上様に民部公子様ご帰国のご報告を致したいと存じます」 (篤太夫)





青天を衝け紀行
◆第25集 埼玉県・飯能市/越生町

埼玉県・飯能市。渋沢喜作率いる振武軍は能仁寺に本営を置きました。
新政府軍の総攻撃を受け、激戦地となった能仁寺。本堂を含む殆どの建物が焼き払われました。
飯能では民家200戸余りが焼失。僅か数時間で勝敗が決まったと言います。

振武軍はちりちりとなり、渋沢平九郎は現在の越生町に辿り着きました。

顔振峠から山を下る途中、新政府軍と鉢合わせた平九郎は激闘の末この地で命を絶ちました。
その亡骸は直ぐ近くにあった全洞院に葬られ、後に栄一もこの地を訪れています。

平九郎の死は、栄一の心に深い傷を残しました。




◆能仁寺 (飯能市)
交通アクセス:西武池袋線・飯能駅下車 徒歩20分


◆渋沢平九郎自決の地 (越生町)
交通アクセス:JR八高線/東武越生線・越生駅下車 路線バス利用、黒山停留所下車 徒歩3分





次回は9月12日で、第26話「篤太夫、再会する の巻」が放映されます