今晩は、所沢市田中則行です。フジテレビジョン系列の火曜9時ドラマ『古畑任三郎』シリーズなどに出演し、数多くのテレビドラマで活躍した俳優、田村正和さんが先月3日に心不全のため都内港区の病院で亡くなられました。享年77歳でした。

(NHKニュースWeb 及び NHKニュース防災サイト・5月18日報道より)



田村さんは京都府の出身で、父親は往年の大スターである阪東妻三郎さん、兄の高廣さんと弟の亮さんも俳優と言う役者一家の中で育ちました。昭和36年に映画『永遠の人』で俳優として本格的にデビューし、その後はテレビドラマを中心に活躍し『眼狂四郎』のような時代劇でのニヒルな剣客役や『うちの子にかぎって…』でのコミカルな教師役などで人気を集めました。中でも三谷幸喜さんが脚本を務めたテレビドラマ『古畑任三郎』シリーズでは完全犯罪を目論む犯人を徐々に追い詰めていく刑事役を演じて話題となりました。

NHK総合テレビでも三島由紀夫原作の『長時間ドラマ 鹿嶋館』や昭和52年から放映された時代劇『連続ドラマ 鳴門秘帖』に出演するなど幅広い役柄を演じて活躍してきました。


関係者によりますと、田村さんは平成30年に放映されたドラマ『眼狂四郎The Final』に出演したのを最後に仕事から離れていました。そして先月3日、心不全のため都内港区の病院で亡くなられたと言うことです。享年77歳でした。喪主は妻の和枝さん、葬儀と告別式は親族で行われました。





■田村正和さん
昭和18年生まれ 京都府出身、成城大学卒。昭和36年、高校在学中に映画『永遠の人』でデビュー。昭和41年に大学卒業するまで学業と俳優活動を平行して行い、昭和38年の『花の生涯』から5年続けてNHK総合テレビ大河ドラマに出演。

当初、声があまり通らず風貌も地味に映ったことから脇役が多かったが、昭和45年にフジテレビジョン系列の昼ドラマ『冬の旅』で注目され、昭和47年『眼狂四郎』(フジテレビジョン系列)のニヒルな役どころが評判となり人気に火が付き、哀愁漂う演技が女性の心を掴んだ。その後は『若さま侍捕物長帳』(昭和53年)、田村三兄弟で共演した『乾いて候』(昭和58年)、『ニューヨーク恋物語』(昭和62年)、『過ぎし日のセレナーデ』(平成元年)、『パパとなっちゃん』(平成3年)などがヒットし話題となった。

昭和58年TBSテレビ系列のドラマ『うちの子にかぎって…』、昭和62年に『パパはニュースキャスター』に主演し、これまでとは違ったコミカルな演技で新境地を開き、お笑い芸人らがモノマネをするようになると、若い世代にも人気を得た。平成6年からオンエアされた『古畑任三郎』(フジテレビジョン系列)では10年以上演じ、代表作の1つとなった。

平成21年にTBSテレビ系列の特別企画ドラマ『そうか、もう君はいないのか』がモナコのモンテカルロ・テレビ祭でテレビフィルム部門最優秀男優賞を受賞。日本の民放作品としては初の受賞となった。平成30年のスペシャルドラマ『眼狂四郎 The Final』(フジテレビジョン系列)が最後のドラマ出演となった (ドコモdメニューニュース 及び ヤフーニュース内 スポニチアネックス・5月18日報道発表による)



田村正和さんって平成5年秋と平成7年1~3月にオンエアされたTBSテレビ系列の東芝日曜劇場連ドラ『カミさんの悪口』にも出演しましたね。テレビ宣伝では日本信販ニコスカード(現 三菱UFJニコス)の宣伝や平成6年のトヨタ・4代目ビスタの宣伝にも活動していました。田村さんのご冥福をお祈り申し上げます