ロジックの河村です。

 

ゴールデンウィークいかがでしたか?

僕は妻の愚痴を聞いて終わったような感じです。

妻がパート先の人間関係?で不満に思うことがあるようで、その話をずっと聞いていました。

ただ、新しいバットを1本購入しまして、それで毎日素振りしていました。

普段でも出来るようなことをやっていましたが、変に疲れることもなく、無難な休みでした。

 

今日はそんなゴールデンウィークにふと思った大学学位の話についてしたいと思います。

今は、大学全入時代とも言われるような、大学までが実質義務教育みたいな時代です。


一応簡単にその大学について説明しておきますと、

大学には「学士」「修士」「博士」という3つの学位があります。

例えば、4年制大学の文学部を卒業すると「文学学士」という学位が与えられます。

大学卒業後大学院に進学すると2年で「○○修士」、修士取得後3年で「○○博士」という学位を取得できます。

文系、理系で分かれるのですが、文系の場合は多く(多分9割くらい?)は大学院へは進学せず、学士取得後に就職します。

理系は8割くらいが大学院に進学し、その内9割以上が修士取得後に就職します。

 

今回話をしたいのは、「博士」についてです。

先程の話である程度理解していただけたと思いますが、大学院の博士課程に進む人は大学進学者の中でも1割に満たないです。

僕の同期(約40人)の中でも3人だけが博士課程まで行ったかと思います。(あまり覚えていません。)

なぜ博士課程まで進む人は少ないのでしょうか?

博士課程に進む人は大学進学者の1割弱と単純に計算するのであれば、統計的には増加傾向にあるかもしれません。

医学博士は誰でも取れると某医療漫画に書いてあったので、医学博士については特に増えているかもしれません。

しかし、博士課程まで進む割合はおそらく減少傾向にあると思っています。

今後も割合は減っていくでしょう。最終的には少子化の影響も受けて、全体数も減少するでしょう。

本来、博士というのはその分野の研究における最も重要な資格のはずです。

ざっくり言えばプロ資格のようなものです。

適切な例えか分かりませんが、学士が高校野球経験者、修士が社会人野球、独立リーガー、博士がプロ野球選手みたいなものです。

野球で言えば、多くの高校球児はプロ野球を目指して頑張っています。

プロに指名してもらえなかった選手が社会人野球や大学進学し、後にプロに指名される選手を目指します。

こう考えたら、博士課程への道が難しいように感じますが、実際のところではプロ野球選手ほどハードなものではなく、ドラフトがあるわけではなく、試験を受験すればいいのです。そしてそのハードルはおそらくドラフト程高くはありません。

 

ここで改めて問題提起したいのですが、博士課程に進む人が減るというのは、野球で言えば「プロ野球選手が減る」と言う事です。

野球は興業なので、減っても大した問題ではありませんが、研究者が減るというのは国規模で言えば問題です。

何故問題なのかというと、他国の研究の方が先進的になり、その技術を買う必要が生まれ、外国にお金が流れてしまいます。

日本が先進的な研究を行えば、その技術を他国に売ることが出来て、海外からお金を獲得できます。

今の日本は野球で言うところの「高校球児」や「独立リーガー」レベルの人間を多く輩出出来ていますが、「プロ野球選手」レベルになる人間もその2つのレベルに留めてしまう仕組みを取っています。

その仕組みは大学内や社会によって作られました。

大学において学生の立ち位置はどうだと思いますか?

また野球で例えるなら大学1年生は高校球児の1年生です。

野球(研究)出来ると思いますか?

球拾いや筋トレしか出来ません。

高校球児は3年生になれば前線で野球ができます。

大学ではどうでしょうか?

大学では周りにプロ野球選手(教授、助教、講師、博士課程)や独立リーガー(修士)がわんさかいます。

野球(研究)出来ると思いますか?

正味、独立リーガーも野球できますか?

この話で言うなら博士課程もプロ野球で言うところの「育成選手」でしかありません。

思いつきでこの例えをしましたが、結構リアルな状況に近いと思います。

 

今後の日本に必要なのはこういう育成選手です。

しかし、僕も生徒に博士課程はお勧めしません。

そんな社会になっています。

博士がのびのびと研究できる環境を用意できない国は衰退します。

日本も限界なのかも・・・。