きょうはとってもあったかくてすごしやすい一日でした。

教室の外では、お日さまがキラキラしてて、まるでニコニコ笑ってるんだなって思いました

雨がふると、カサをさして歩かなくちゃいけなくて、それは大変だから雨は好きではありません

そんなうららに陽射しを浴びながら、日本人の国民性についてこんなことを考えました。

『 大多数に同意をしなければ空気が読めないと言われるこの日本において、議論ということが成り立ちうるのか甚だ疑問である。
しばしば日本人は海外から以下のように言われる


「日本人は自分の意見を言わない。曖昧な返事をしてばかりで、何を考えているのか分からない。」


この意見については、日本人の私も強く同意するところである。事実、私もはっきりと相手に考えを伝えるのは得意ではない。拒否や否定をする時は、最大限相手に配慮した表現を用いようとするので、遠回しな表現になるのであろう。このことは、海外の人から見れば、非常に慣れない、扱いが難しいと思われるようだ。

日本人がこのような特徴を持つ原因の一つに「意見と人格の分離が出来ない」ことがあげられると考えられる。例えば、ディベートを行う際に、自分の意見が否定されると、自分自身が否定されたと錯覚してしまう。ディベートが終わった後でも、心の中では言われたことをずるずると引きずってしまい、その人とはどこか距離感を感じてしまう、というケースは多くの人が体験したことがあるのではないだろうか


また、もうひとつに秩序を乱す者を集団で、徹底的に排除しようとする習性が日本人には備わっていると考える。

「出る杭は打たれる」ということわざにもあるように、自分たちと異なる存在、例えば目立ち過ぎていたり突出しすぎたりしている人を発見すると、それを不快に感じる人は必ず存在する。それは、嫉妬や羨望、あるいはコンプレックスから来ているのかもしれない。そういった人たちは多くの場合、イジメや省きのターゲットになるだろう。

このような理由から、日本人は潜在的に「目立ってはいけない。反感を買ってはいけないという」潜在意識が学校教育を通して根深く植え付けられる。

しばしば、日本人は礼儀を重んじる文化、謙虚さを美徳とする文化と言われるが、それらも全て上記の潜在意識が起因していると私は考える。

教授がこのようなことを言っていた。「質問をしたとき、小学生はみんな手を上げるが、中学校や高校と上がるにつれて手を上げる人は減っていく。大学生にもなると手を上げる人はまずいない」

これは、成長に伴ってリスクマネージメント的思考が成熟していくので、自然な成り行きだといえる。
このようなプロセスを経て、私たち日本人は自分の意見を言わない人間になっていくのではないだろうか


また、さらに大きな特徴は「無言の同調圧力」ではないだろうか
みんながYesと言ってる中、1人だけNoと言うのは甚だ困難である。当然、強い意志を持っていて主張すべきことを適切に言える方もいるだろうが、そのような人ばかりでないことも事実だろう


会社でも、周りの人がまだ残業しているから
と言った理由で帰りにくい方が多くいるだろう

それは「なぜ自分がこんなに一生懸命に仕事をしているのにあなたはもう仕事が終わるんですか?」という圧力が働くからだ

わざわざ一緒に辛い思いを強いられる環境には、多く改善の余地があるだろう


とまあ、ここまで偉そうに日本人の国民性についてつらつらと意見を述べてきたが

そもそも 私は日本人以外の国民性をよく知らないので説得力は不十分かもしれない


しかし、この国で生きてきて感じたことを記述してみた


私は日本国民の精神衛生を改善できる仕事に就きたい』


そろそろお腹が空いたから早くごはんを食べたいです

おわり。