物心ついた頃から

私は人前がとても苦手だった。





幼稚園では

私と幼馴染のかずちゃんの二人だけが

出席を取る時に返事ができなくて

担任の先生から

職員室みたいなところで

大きな注射を見せられ

(今思えばおもちゃのね)

お返事できないとこれを打つよ

と言われた。





お遊戯会では

いつも下を向いて踊っていた。

客席を見ることができなかった。





小学校に上がっても

発表は嫌いだったし

中学に行っても

高校に行っても

大学に行っても

大人になった今でも


「自己紹介」という言葉を聞いただけでも

緊張してしまうくらい

とにかく人前で何かすることに

苦手意識というか

恐怖がある。





どんな経験が原因で

人前がそんなに苦手になったのかは

未だに見つけられないでいる。





過去世で魔女狩りにあっているとか

命を狙われるから

力を隠さなければいけなかったとか

(目立ってはいけないみたいな)

そういう話も

スピリチュアルの世界ではよく聞くし





まぁ多分私も

何かしらそういう設定が

あるんだろうなぁと思うけど

思い出してないから

なんとも「この時のこの経験だ!」

とは言えない。









緊張してしまう自分

人前で堂々とできない自分

引っ込み思案な自分を

私はダメだとずっと思っていた。

カッコ悪いと思っていた。

というか

今でもまだ思っているところがある。





例えば

あの大きな注射で脅された?出来事も

先生は私たちのために

良かれと思ってやっていても


「みんなと同じことができない自分は

 ダメなんだ」とか

「みんなと同じことができないと

 恐ろしいことになる」とか


何かしらネガティブなものが

潜在意識に刷り込まれる瞬間になる。








幼稚園の父親参観で

フルーツバスケットがあった。

フルーツバスケットもとても嫌いだった。





イスに座れずに真ん中に立つことが

とても怖かった。


真ん中で

次にイスを取り合う人たちの

グループを指定するために

声を発することが

とても怖かった。









その参観では

先生から割り振られ

事前に自分たちで描いた

カレーの各具材のお面を頭につけた。





私は豚肉のグループということで

豚の絵のお面を自分の分と父の分、描いた。





片方の鼻の穴が少し大きくなり

もう一方も揃えようとするとまた大きくなり

不恰好な豚になった。





それに加えて

フルーツバスケットで

一番最後に座れなかった

親子になってしまったことで

とても暗い気持ちで帰ったのを覚えている。





消極的な自分や

最後に座れなかったことや

自分の描いた不恰好な豚が

その全部が

父親をガッカリさせたような

父親に恥をかかせたような


そんな罪悪感やら

自分自身にガッカリされたような

悲しい気持ちやらを

感じながら帰ったのを覚えている。





ちなみに

父は私を励ますように

「最後に残ってしまったなぁ笑」

みたいなことを言って

笑っていたのも覚えている。





きっと父は

私が心配するようなことは

感じていなかったはず。





喜怒哀楽が激しく

キレると大人気ない言動で

私をたくさん傷付けたけど

前にも言ったように

24時間365日

嫌な父親ではなかったというのは

ちゃんとわかっている。









この3年近く

自分の感情を見つめて

たくさん気付いてきたつもりだけど

結局毎日

自分の創り出した世界に入り込んで

苦しんで怒って泣いて

相手を責めている。


そんな自分をまた責めている。

このことはもう何度も書いた。





旦那や息子に

色んな注意をする。


旦那や息子が

「身の回りの当たり前のことができない」

ことに関して

毎日イライラしている。





その負担が

自分に回ってくることにも

イライラしている。





これは

作業の負担そのものというより

大切に扱われていない

ということに対する

怒りや悲しみが大きい。





何度も書くが

自分が自分を大切にしていないから

起こっていること。









以前書いたことがあるけど

私は小1の時に忘れ物の王様だった。

Aくんと二人で

よく前に立たされた。

人前に立たされることが嫌だったし

恥ずかしかったし

必死で忘れ物をしない自分になった。





小さい頃から

散らかしていると父親から

「おなごんくせして(女のくせに)

 きさなか!(汚い)」と言われ

大きなお菓子の缶に

たくさん集めていたシールも

ある日、缶ごと捨てられた。

とても悔しかった。

悲しかった。





女だから

きれいに片付けていないといけないとか

片付けない自分が悪いから

捨てられても文句が言えないとか

本当は父に怒りが湧いていたはずなのに

飲み込んで抑えて





泣けば泣いたでまた怒られるから

肩に力を入れて

片付けをちゃんとできる自分

忘れ物をしない自分

その他たくさんの

「できる自分」をやってきたから

「できない自分」を許さなかったから





それをできない旦那や息子に

とてもとても腹が立つのだと思う。









一昨年?だっけ?

ヘルニアになってから2年以上だから

その前の年か?


ユキさんのセッションを受けて

「何もできない私」という結論が出た後

「やっぱりできない私じゃない!」

って気持ちが湧いてきたことがあったけど




「何もできない私」を

認めてやることが

本当に必要だったのかもしれない。









小さい頃からなんでも一人でやらされ

しもやけとあかぎれで

毎年冬には手足がボロボロになっても

小学校一年生で

当たり前のように

自分の上靴やらも洗っていた。





本当は

お母さんに

お父さんに

「手が痛いから洗ってほしい」って

言いたかったんだろうね。


きっとそう思ってることすら気付かず

当たり前に洗ってたんだろうね。

記憶という記憶もないけど。









低学年の頃からしばらく

両親が別の校区で焼き鳥屋をやっていて

朝まで店を開けていて

一時的だったのかしばらくいたのか

自宅の方には

遠くから婆ちゃんが

私たち姉妹の面倒を見に来ていて





「お父ちゃんとお母ちゃんと

 一緒に寝たい」と言ったら

「お父ちゃんたちは忙しかと!!」と

婆ちゃんから叱られ

それ以降

一緒に寝た記憶もない。





4年生の頃だったか

買い物について行こうとすると

「お前は連れて行かん!

 なんでん(なんでも)すぐ

 買うて買うて言うけん!」と

父からめくじらを立てて言われ



当時保育園生だった妹が

抱っこされて連れて行ってもらうのを

やり場のない気持ちを抱えて見ていた。









物を欲しがってはいけないという観念は

家は貧乏だと思っていたから

もっと小さい頃からあった気がするけど

両親、特に父とのそんな経験が

山ほどあって



小6の修学旅行の時には

親にお金を出してもらうのが申し訳なくて

というか

私に対してお金を使うことを

嫌がられているのだと感じていたから

1万円だか1万5千円だか

金額は覚えてないけど

自分で出したのを覚えている。





こういうのが

自分にお金をかけることができない

ブロックに繋がっている。









この3年近くの

「感情と向き合う」という作業は

やってもやっても

やり方に何か問題があるのか

根っこの大きなものが

外れていないからなのか

未だに「重たい自分」で

結局それも否定してしまっている。





だけど

どれだけの怒りや悲しみを

抑えていたのかということは

本当によくわかる。





なんでこんなことしなきゃいけないんだと

やり切れない日もたくさんあるけど

これが私の完璧なシナリオなんだよな…。









苦しむだけで終わるような人生

わざわざやりにきてるわけないしね。


自分でつくった檻から

ちゃんと抜け出す日は来ます。





じゃないと

やってられんよね。









隠れた観念に気付くための

細かい紐解きが難しくて

いつまで続くんだろうと

嫌になることも多いけど



これはプロセスなのだ。







どんなに

めげても落ちても

プロセスなのだ。