今日も息子と喧嘩をした。








平日も学校から帰ると

たいていすぐに

iPadかSwitchかスマホを手に取り

ゲームか通話を始める。





というか

今時の子たちは

通話しながらゲームをするので

スマホを脇に置いて

スピーカーやイヤホンで話しながら

iPadかSwitchでオンラインゲーム

というパターンも多い。





ゲームばかりで話せない。

ゲームばかりで身の回りのことをしない。

もう何年も続いている。





注意はするが変わらない。

寂しいと思う気持ちもある。

寂しい気持ちは

私の依存心からきているのだと思う。





それから

私の言葉は聞いてもらえないという

自分が無視されているという孤独感。





スピリチュアルで学んだことからすると

これは


私が私の言葉を

私が私自身を

無視している


つまり

そういうこと。









今いる熊本に転勤してくる前

香川に住んでいた頃は

近所に公園があって

5年生だった息子は

年下の子も年上の子も一緒に

毎日のように大人数で公園で遊んだ。





その前の転勤は年長さんの秋。


広島から香川へ転勤して

隣の校区の保育所に入れてもらい

(私の病気を理由に入所)

数ヶ月の間に友達はできたものの

小学校へ上がる時は

同じ保育所の子が一人もおらず

すぐにまた

友達ゼロからのスタートを強いられた。





でも

どの頃を振り返っても
息子の周りには
いつもたくさんの子が
寄ってきてくれていた。




保育所から今に至るまで
担任の先生からも
それはよく言われてきた。








息子は
自分から積極的に
声をかけに行くタイプではないが
気が付いたらいつも
人が集まってくる。




毎日のように
公園で遊んでいた頃も
初めはほんの数人しかいなかったのに
あちらからこちらからと
別の友達がくるようになり
その子たちが繋がり
大きな輪になっていた。







息子は学年で恐らく2番目に背が低い。
私も旦那も小さいので
今後もそう伸びはしないかもしれないが
その背の低さすら
息子の魅力を
倍増させていると思っている。




息子はかわいいと言われることを嫌う。
小学校の頃
何度か「チビ」とかわかわれたことで
小さい自分を
多分今でもどこかで否定している。




息子の場合
敵を作りにくい性格に加えて
あどけなさの残る顔や小柄な体型も
相手が近寄りやすいような
そんな空気感を放っている気がする。




今では
色んなものがくっついてしまったが
本来
とても癒しのオーラを持った子だと思う。




親バカかもしれないが
きっとその癒しのオーラを
本能的に察知して
みんなが集まってきてくれていると
私は昔から思っている。




ちなみに
こんな親バカ発言
昔の私ならできなかった。




でも
親である以前に
彼のことをそう見てるので
そう発言している。








今日
喧嘩中の話の中で
息子が泣きながら
「おれは何の取り柄もないし!」
と言った。




私も泣きながら喧嘩していたけど
その言葉に胸がキュッとなった。




そんなことを思っていたのか。
この子はそんな風に
自分を見ているのか。
そんな風にしか思えない
育て方をしてしまったのか。








何事もやる気がないというか
やろうとしないのは
自分に自信がないことの現れだろうとは
薄々気付いていた。




息子を見ながら
私は私を見ているから。




でもさすがに堪えた。

私から見たら
その癒しの力だけでも
じゅうぶんに取り柄なのに
本人にはそんなもの見えていないのだ。







これは私にも言えること。
きっとたくさんの人がそう。



自分の「ない」ばかりに目を向けず
「ある」に目を向けてやる



大事なことだとわかってはいるけど
探しても探しても
いくら考えても
自分の取り柄などわからない。
何もないようにしか思えない。




人と比べて
「ない」ばかりに目を向けて
自分を落としてしまう。




だからいつまで経っても
自分を愛するとか
自分を癒すとかがわからない。








息子には
自分が両親から
心から愛されていると
知ってほしい。




でも
息子は私からも旦那からも
愛されていないように感じている。




私は息子を
とても大切でかけがえのない存在だと
ずっと思っているし
それを感じていてほしい
安心していてほしいと思っている。




でも私自身が
息子から愛されていないと感じ
その悲しみ、苦しみから自分を守ろうと
怒りで対応してしまうことがよくある。




米津さんの歌じゃないけど
愛されたいのに
いらないことばかり言っちゃうよね。








また傷付けてしまったと後悔し
どうやったら
息子に「愛してるよ」が届くのか
冷静に伝えようとするも
言葉だけではうまくいかないもんで




そもそも
私が自分を愛せていない
自分を癒せていないままだから
「息子からすら愛されない」
なんてところにいってしまうのであって




そう考えると
自分を愛してくれていなかったと
そんな風にしか見えなかった両親もまた
自分で自分を愛せていなかったから
私を傷付けるような言動を
取ってしまうしかなかったんだと




愛されていないと
息子がいくらそう感じても
私や旦那が息子を大切に思う気持ちは
真実なのだから




私が見ていた
「愛されていない」だって
その裏には
両親なりの苦悩があったのだろうと思う。




だから
いくら私がそう感じられなくても
愛されていたんだろうな

…そういうこと。








あの人も
またあの人も
本当は愛されたいだけで
本当は愛したいだけで

誰も悪くなんかないんだろうね。








ちなみに
息子とは
二人でまた泣きながら
たくさん話して仲直りした。

まだまだ喧嘩はしてしまうから
喧嘩する度に
たくさん話して
仲直りするようにしている。








勉強ができなくても
(昔はできてたから
  本当はできるんだろうけどね)
スポーツが得意じゃなくても
特別なものがないと感じていても

あなたはあなたであるだけで
あなたが今日も生きていてくれるだけで
私はとてもありがたいよ。
嬉しいよ。


とても大切だよ。

大好きだよ。




寝グセだけで 私を癒す息子。