今朝、新聞を読んでいるとこんな記事が目に飛び込んできました。

「錦川清流線 存廃検討へ」という。ネットにもありました。

この記事の要点をまとめると、

・主に人口減少による乗客減→最近は一億円前後の赤字、市が穴埋め

・2023年度から廃線の可能性含め、専門家や錦川鉄道も交え今後の在り方の議論を進める

・2025年度以降に存廃など、方針を決める

とのこと。

また、2024年度には複数の選択肢をまとめる予定で、選択肢は

・財政支援による存続

・上下分離方式による存続

・廃止と代替交通の確保

等になるとみられています。ちなみに、上下分離方式とは、鉄道会社が運営・運行を担い、また別の会社や自治体が線路や車両を保有する、というもので、逆のパターンもあります。

あくまで自分の考察になりますが、「財政支援による存続」という選択肢に決まる可能性は低いと思われます。現に、莫大な赤字を市が穴埋めしているわけですが、これをいつまでも長続きさせるメリットは薄いですし、そもそも長続きさせるのは厳しくなるとも思われます。現時点では上下分離が一番適してるのかな、なんて思ってます。まだ新しい選択肢がある可能性もありますしわかりませんがね。

 

しかし、沿線人口が少ないこの地域になぜ鉄道が通されたのか?時は何十年も前にさかのぼり、国により「山口県岩国ヨリ島根県日原ニ至ル鉄道」が計画されます。島根県日原は、山口線の駅で、津和野の2駅北に位置します。そう、もともとは陰陽連絡線として建設されたわけです。1960年、当時は国鉄路線の岩日線として川西ー河山開業。河山には銅の鉱山があり、河山まで先の開業となったようです。当時は貨物輸送もあったとか。

1963年には現在の終点、錦町まで開業し、1974年には貨物輸送終了。あれ、工事は進んででいるものの、まだ日原まで開業する気配がありません。

…そうこうしているうちに、1984年、岩日線が特定地方交通線に指定されてしまいます。錦川ー日原の開通は完全消滅したのです。なんならすでに開通していた区間も廃止の危機に陥りました。しかし、そんな岩日線に救いの手が。第三セクター化が決まったのです。そして1987年4月、錦川鉄道…ではなくJR西日本に移管。その後7月に晴れて錦川鉄道となりました。そんな経緯があったわけです。

 

話は変わりまして、6年ほど前、錦川清流線に全線乗車しました。NT3000形、素敵な車両でした。また、今は清流みはらし駅とかいう変わった駅がちょっとした観光スポットでしたが、当時は清流みはらし駅なんてありませんでした。まぁ今もあって無いようなものですがw。

そして、この存廃にかかわってくるところで気になってくるのはこれ。

「とことこトレイン」です。清流線の終点、錦町から雙津峡温泉を結ぶトレーラー?のような乗り物。じつはこれ、先述の岩日線の未成区間の路盤を利用したものなんです。実は途中の六日市までは路盤が出来上がっており、それを利用したのです。

トンネルには色鮮やかなイルミネーションが張られ、オープン構造なので風も楽しめます。ぜひ乗ってみてはいかがでしょう。