2月2日


東京新宿BLAZE


で開催された


CCB 笠ちゃん


お別れの会


私は配信🎥で参加しました


私は出だしから大泣き


まだアーカイブ期間中だし


これから見る方もいるだろうから


詳しくは記載出来ないけれど


まるで笠ちゃん本人が


いるかの様なLIVE


Helter Skelter



私的にはヒデキイメージが


強い曲で


スクリーンにはヒデキ


登場してニコニコキラキラ



復活したCCBLIVE


見ている感じでした音譜



米川くんも相変わらず


ギターギターがとっても上手で


会場いっぱいに大きく


鳴り響いていたよギター音譜



カッコ良かった目がハート




私の好きな曲を


沢山、歌ってくれたニコニコ



笠ちゃんも命日 LIVEで 


引き継がれると


嬉しいよね気づき



やっぱりCCB


最強のバンドマンキラキラ



解散してかなり経つのに


まだファンが沢山いるし


勿論、私もファンの一人だし


私の影響で


妹と母もCCBのファンになった



う〰〰ん


TUBEと比べたら何が違う


ハッキリ言うと


CCB本当のバンドマン!!



って、これは


あくまでも


私の気持ちだからねパー


TUBEはやっぱり



夏のイメージが強くて


バンド🌻



 CCBのLIVEに行ったら


本当のバンドマンって


わかるだろうけれど。。


CCB再結成は叶わない大泣き


何よりも


作詞家の松本隆さん


作曲家の筒美京平さん


最強のお二人が


認めたバンドがCCBだから


やっぱりすごいよねニコニコ




いつも心にCCB 




写真の下に記事があります




 




 




笠ちゃん🥁公式 セトリが記載されているのでセトリを知りたくない方は見ない方が良いかも





 














C―C―Bを語る時に切っても切れないのが、作詞家・松本隆さんと作曲家・筒美京平さんの「黄金コンビ」。数多くのアーティストに楽曲を提供している2人だが、筒美さんに“才能”を見いだされたという意味で、最も象徴的だった一人が笠さんだった。

1985年、解散寸前のバンドだったC―C―Bに起死回生のヒット曲を提供したのがヒットメーカーとして知られた大作曲家筒美京平さんだった。目を付けたのが、ドラマーの笠浩二さんの声。透明感があるハイトーン・ヴォイスに魅力を感じ「笠くんじゃなきゃ、私は曲を書かない」とドラマーだった笠さんをメインボーカルに抜擢したのだ。笠さんは「なんで俺を選んだのっていう感じで。自分にすごく自信がない人間だから、自信をもってドラムを叩いたり歌ったりできなくて、よく間違えるし。本人は突然のことで驚き、レコーディングでは緊張が止まらなかったと回述している。 笠氏と言えば、シモンズの電子ドラムを使い、歌いながら叩くスタイルでお馴染みだが、筒美氏は彼がドラマーだということは知らなかったそう。結局、ライヴやテレビ出演などでは、歌いながらドラムを叩くことになったが、筒美氏の抜擢がなければ、そのスタイルは生まれておらず、いわば偶然の産物が、笠氏のトレードマークとなった。メンバーからも「なぜ笠がメインヴォーカルなの、っていう。板挟みみたいになってしまって。ダメ出しをされて。だんだん、自分で歌自体がどういうものか分からなくなっちゃって。最後は泣きながら帰ったときもあった」という。そして迎えた、レコーディング本番笠さんが、緊張のあまり、「胸が苦しくなる」という歌詞の末尾の「なる~」というメロディーを、筒美さんから指示された下げ調子ではなく、上げ調子に勝手に変えて歌ってしまった。すると筒美さんは「“これでいいよ”って言ってくれたのね。自分が歌いやすいところで歌ってるんだから。それが君のメロディーなんだから、と」。そして「Romanticが止まらない」は、売上51.7万枚のヒット曲となり、日本レコード大賞金賞にも輝いた。
以降、「スクールガール」「Lucky Chanceをもう一度」などヒット曲を連発。テレビで見かけない日はないというほど、お茶の間の人気を獲得。ピンク色の派手なヘア・スタイルにピンクのメガネ、そして明るく朗らかなキャラクターの笠氏も日本中から愛される存在となった。しかしながら89年にC-C-Bは解散。
笠氏は、シングル「30cmでつかまえて」でソロへと転身をはかる。音楽活動に加えて、テレビ、ラジオへの出演などタレントとしても活躍。体調を崩し、活動を休止している時期もあったが、2015年には解散以来26年ぶりに、解散時のメンバー4人でC-C-Bとしてライヴを開催。全国ツアーも予定されていたが、直前で渡辺氏が急逝。結局、再結成ツアーは幻のものとなってしまった。 2021年に米川と共にC-C-Bとして演奏したライヴ映像 近年は拠点を熊本に移し、マイペースで音楽活動を続けていた笠氏。2022年に入り、夏には渡辺氏のトリビュート・ライヴに出演。しかしながら、車椅子での登場となり、その体調が心配されたが、後に静養する旨を公表。11月8日には還暦を迎えたものの、12月14日、脳梗塞のため帰らぬ人となってしまった。
C-C-B時代、華やかなルックスで高らかに歌いながらドラムを演奏する笠氏は、老若男女を問わず愛される存在だった。そんな氏の姿を見てドラムに興味を持った人も多く、ドラムの普及に貢献した存在の1人と言えるだろう。

≪89年解散、08年に再結成≫ 
C―C―Bは1980年代半ば、チェッカーズなどとともにアイドルバンドとして音楽界を盛り上げた。最大のヒット曲「Romanticが止まらない」は約80万枚のセールスを記録。「スクール・ガール」「Lucky Chanceをもう一度」「空想kiss」などが立て続けにヒットし、シングル、アルバムなど約103億円を売り上げた。結成から解散までの7年間で3~5人編成と形を変え「Romanticが止まらない」時は5人組、解散時は4人組だった。

 08年、笠さんら元メンバー3人で再結成。15年6月に、笠さんと一緒に結成時から一貫して在籍したベーシストの渡辺さんが大動脈解離で入院し、同月に予定されていた復活ツアーが中止に。その翌月に55歳で早世した。命日に合わせて元メンバーらが集まるライブが恒例だった。