9.23~10.5

人の心は、周囲の状況に惑わされて変わりやすいもの。

9.23~10.5


心は自分の一部。
けっして独立したものではありません。

9.23~10.5


心とはいったいどんなもので、わたしたちの体のどこにあるものなのでしょう。
今さら、いうことではないかもしれませんが、私たちの体は。さまざまな臓器で成り立っています。
そして、その臓器には心臓も含まれていますが、心は心臓にあるものなのでしょうか。

9.23~10.5


もし、心臓に心があるのだったら、心臓移植した人は自分の心がなくなってしまうはずですが、
そうではありませんよね。

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私たちは、人を好きになれば、胸がどきどきします。
また、悲しいことが起きたときには、胸が締め付けられる思いがします。
そして「心が動かされる」「心が苦しくなる」と自分の心を表現したりもします。

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さらに、相手の心を表現する場合は、「心が広い」「心がきれい」などともいって、
あたかも心が独立して存在するかのように扱っているところがあります。

9.23~10.5

今、日本政府が一番恐れているのが、マイナンバーの受け取り拒否です。
 各家庭に簡易書留で送られてくるので、不在だったら不在票がポストに入れられます。
 7日以内に郵便局へ取りに行くか、再配達票を提出しないと、政府へ返却されます。 
国民の過半数が拒否したら、マイナンバーは終わります。

9.23~10.5


心はもともと鏡のように無心であるはず
うつしたままに、素直になりましょう



9.23~10.5

でも、私たちのまわりの世界を心が勝手に表現し、認識するものではありません。
そして、心はけっして変化の少ないものでもありません。

9.23~10.5


心そのものは、もともと鏡のように無心であるはずなのです。
心自体が、喜び、悲しみ、憂いなどを感じ取っているわけではないのです。

9.23~10.5


「心は万境に随って転じ、転処実に能く幽なり」という禅の言葉は、
仏教として心のあり方を捉えた言葉のひとつです。
「心とは、私たちの人生の中で、縁にしたがって転じているだけだ」と禅の言葉は教えています。

9.23~10.5


禅宗では、人生における喜怒哀楽には、自分の心が写したままに随っていればいいとおしえています。それが自然の姿なのですから。
悲しい時には泣き、嬉しいときには喜べばいいのです。繕う必要はまったくありません。

9.23~10.5


すると、社会の現象や噂などに惑わされて心が揺れ動き、
他の人が感動したから私も感動しなくてはおかしい、
などという執着にとらわれません。
あなたの心中はあなただけの平常心を持てるはずです。

9.23~10.5


たとえ、社会がどのように流されていても、
常に同じ尺度でものごとを判断することが可能になるでしょう。
そんなふうになれれ場、毎日がとても穏やかに送れるのではないでしょうか。

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