今日3月11日は東日本大震災から11年です。


タイトルの言葉は朝の情報バラエティのキーワードになりました。




我々は次の世代に、いろんな記憶のバトンを渡さねばならない!


大阪に来るきっかけとなった阪神淡路大震災を東京で見た時に、関東大震災からの開いた期間の長さとかエリアの違いから、防災に対する知識とかの学びが····


発生時間も違い、時代も違う阪神淡路大震災と関東大震災を教訓にしそこねた感の強さ、それが東日本大震災か。


そこにエリア=海の近くで予測出来ない津波に襲われた。


とにかく、いろんな震災は知識を与えてくれました。


地震大国といわれる日本では、慌てず騒がず考えた行動をしないとなりません!





さてウクライナ情勢を他人事の様に見てる方々がいるでしょう。


そこで老婆心ながら、我々は日本でも似たこと=戦争の記憶のバトンを受け取りキチンと渡せてるかを考えてしまった。


日本はまだ、終戦から1世紀過ぎていない。


けど戦争を体験してない最高齢or生まれたての人は今年で喜寿を迎えるのだ。


僕の両親は昭和1桁なんで、戦争の記憶は鮮明にある。


両国で生まれ育ち、空襲で疎開した父は無口だったが、郊外で生まれ育ち空襲前に疎開した母は8月に必ず広島&長崎、そして8月15日に黙祷をさせてくれた。


このブログで一昨年、8月の使命感をシリーズとして書いてました。


それは記憶のバトンを世代を問わずに渡したい!

いや、渡さねばならない!


そう感じたからだ。


モチロン、アクセス数を考えたら無駄なことなのは程度を越えた確実なことである。


ただ、アレンジを加えて戦争を直で経験してなくても、聞いただけで思うことを数日おきに書いてみました。




我々は時に流されながら生きている。


そして必ず小さな1歩でも行動を起こさないよりマシ!

この言葉を接頭語に行動を起こす。


それは、頼れるなにかに裏切られる!

そこから頼れるなにかがないから、そう言って鼓舞せざるを得ないのだ!


復興支援や経済制裁って、4文字が学習すべき熟語になり、日本人の意識に保たせる!


それが必要不可欠にならない世は、僕が生きてる間に訪れないに決まっている。


それは50億人だったかな?

地球上に人間がいて同じ人間が双子でも微妙にいない=クローンでも微妙かな?


そうなんだからしゃーない!


だからこそ、自分なりに記憶のバトンは誰かに渡さねばならないのだ!


ただ、ここまで読んだ?

読んでいただいた、ありがたい方々に改めて言わせてもらいます。


僕はゲイで子作りを諦めていて、ゲイとして若いパートナーもいません。


そんな現実社会では魅力の欠片も持ち合わせてない人間です。


だからこそブログってツールを使い、爪の垢よりも微細なくらいの心の動きを作ってほしい!


それが願いです。m(_ _)m


この記事を読んでくれる数は3桁もいかないのを知りながら、無駄な拡散希望したりします。


久し振りの長文になりました。

m(_ _)m


ってことで今回はここまで!