作詞:三浦徳子

作曲:小田裕一郎


白いヨットの影
渚を滑り
入江に近づくの
手を振るあなた
夢の中のことと
わかっていても
思いっきり 答える私です

※えくぼの秘密あげたいわ
もぎたての青い風
ほほを染めて今走り出すわたし
二人ひとつのシルエット※

誘われた映画は
まぶしすぎたの
背のびする季節と
言われたけれど
はらはらしどおしの
エピローグには
思わず うつむいた私です

えくぼの秘密あげたいわ
もぎたての青い空
愛をめがけ 今走り出すわたし
二人ひとつのシルエット

(※くり返し)




匿名でフォローしてるブロガーさんが、松田聖子さんの誕生日って書いていました。

Wikipediaには

松田 聖子(まつだ せいこ、1962年3月10日 - )は、日本のアイドル・歌手・シンガーソングライター・女優。福岡県久留米市荒木町出身。

とありました。


ところで記憶のすりかえが起きてる人が多いんです。

それが画像の2曲なんです!

いませんか?
青い珊瑚礁をデビュー曲だと思ってる人か!


Wikipediaには

「裸足の季節」(はだしのきせつ)は松田聖子のデビュー曲。 1980年4月に発売。

ちゃんと書かれてまして

別の項目で

「青い珊瑚礁」(あおいさんごしょう)は、1980年7月にリリースされた松田聖子の2枚目のシングルである。


つまりデビュー曲は、そんなにヒットしなくて、2曲目は発売からオリコンチャートを賑わせたからです。

Wikipediaによると

オリコンチャートで週間53位に初登場(4月14日のチャート)と出足はそこそこだったが、テレビでの露出が増えるに従って順位も上げていった。


けど発売直後のチャートが低いのは、音楽評論で言われてたことですが、歌い出しが難しいことにあるんです。

山なりのメロディライン&飛び飛びの音程。
そこを歌い慣れてない!

かといえ、途中からは歌唱力を発揮している。
だから最高ランクは12位まで上げています。


そこにブームとなった、ヘアスタイル=聖子ちゃんカットが加わり新人の事実上トップになりました。

事実上を入れたのは、最優秀新人賞争いに田原俊彦さんがいたからです。

デビュー当時は3年B組金八先生上がりってだけで、残念な歌唱力の愛称=トシちゃんに売れ方で負けてましたね。


そして✕2、江崎グリコさんはやりました!

山口百恵&三浦友和さん以来の、結びついたら面白いペアなCM、作りました!

当時はやらかした!
でしたね。


最終的にレコード大賞の新人賞メンバーはこうなりました。

なんだろう、業界のしがらみが並びを決めた感が強いかな?


最優秀新人賞争いの段階だと?
そんな画像です。

ここから歌唱力を伸ばし売れたのは、2枚とも最後列の河合奈保子さんです。

んで最後の1枠に滑り込んだのは、ギターならぬ三味線の弾き語り=演歌の松村和子さんでしたね。

だから、音楽好きな僕が一番納得のいかない大晦日でしたよ!

本来なら&今なら、高校3年なんだから別にやることあんだろ!

ってなモンですけどね。


あれから42年くらいですか!

昨年末の悲劇から75日くらい経過して、なんとか書ける環境になったかな?

赤いちゃんちゃんこ=和風防寒ベストを着ても祝ってくれる誰かは?

そんだけのスキャンダルを乗り越え····たのかな?


メディアから距離を置いてor置かれ、ストレートのロングヘアでデコ丸出しが、最近のトレードマークかな。

取り敢えずいじっていないだろう目鼻立ちは、同い年の早生まれとしてはチョッピリ羨ましいです。

こう思うのが一般人男性として生きてきた僕と、芸能界を生きてきた聖子さんの差でしょうね。

ゲイNO会を生きてきた僕だから、スキンケアなんてしてない!


けど画像=20歳近辺に戻りたいとも思わない!

それが今の僕だったりして!


最終的に聖子さんは歌唱力がアイドルとして上手だったから生き延びました。

そこを基準にして、歌唱力が上回る人は引き際を決めてフェードアウトします。

それが河合奈保子さんですね。
あるいは寿退社ならぬ引退した、聖子さんがポストと言われた山口百恵さんですね。


少しずつ誤差はあるけど、このまま芸能界に女帝として居座り続けてたりするんですかね。

そんな予感が実現するだろう松田聖子さんです。

くれぐれも関係者&特に田原俊彦さんの熱狂的ファンが読まないことを、アクセス数からは大丈夫だろうけど望みます!
m(_ _)m

ってことで今回はここまで!