死因は特定中「事件性もなくコロナでもなく自決でもございません」
リング上の実力は折り紙付きだった風間ルミさん(1998年4月撮影)【写真:平工幸雄】
LLPW-Xは22日、元女子プロレスラーの風間ルミさん(本名:斉藤ルミエ)が死去したと発表した。55歳だった。
【写真】1993年11月9日、東京・駒沢オリンピック公園体育館での風間ルミVS北斗晶の敗者髪切りデスマッチ…北斗は「あの瞬間の負けても尚、腕を前に組み目を真っ赤にしながらも強がる姿!」と回顧した
代表取締役で同期の神取忍がコメントを出した。
以下はリリース全文。
「弊社初代社長風間ルミ(本名斉藤ルミエ)がかねてより自宅にて病気療養中の処、室内にて病死により永眠致しました
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでお知らせ申し上げます。
死因に関しまして現在病理解剖にて特定中ですので原因が分かり次第お知らせさせていただきます
事件性もなくコロナでもなく自決でもございませんので
ご遺体はご家族の元に搬送されました
葬儀、告別式に関しては、家族のご意向により昨今の状況下の檻を見て誠に勝手ながら家族葬を執り行わせていただきます
お別れ会を執り行う予定ですので日程は後日お知らせさせて頂きます」
風間さんは1986年、ジャパン女子プロレスに入団。アイドルレスラーとして人気を集め、グラビア活動も行った。
対戦経験のある北斗晶は「私しか思い出してやれない顔がある。」とのタイトルでブログを更新。
「遠い昔…人生で一度だけ 長い髪をかけて戦った事がある プロレス界でいう 髪切りマッチ」と、1993年11月9日、東京・駒沢オリンピック公園体育館で行った風間さんとの敗者髪切りデスマッチに言及。
「相手選手の髪にバリカンが入り長い髪がバサバサリング下に落ちていき大きな目がどんどん、赤く潤んで行く姿。彼女を思い出すなら、あの瞬間の負けても尚、腕を前に組み目を真っ赤にしながらも強がる姿!凄い美人だった。笑うと可愛い人だった」と、今もなお、鮮明に記憶している風間さんの強烈な印象を明かした。
「だから、彼女を思い出す時も誰かと彼女の話をすると時も私は彼女のあの瞬間の顔を思い出す。あの時、戦った私しか思い出してやれない顔だから…風間ルミさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます 合掌」と結んだ。
ブログをアップする時にインスタと連携します。
その時にインスタをチェックしてて、知った訃報です。
1986年ってなると35年前ですか!
画像はその当時です。
そもそもジャパン女子プロレスは、当時の独壇場だった全日本女子プロレスに対抗しようと立ち上がった団体です。
改めてモノクロ画像を解説すると?
上段は左がナンシー久美さん、右が故・ジャッキー佐藤さん。
中段は左が故・風間ルミさん、右が神取忍さん。
下段は左がわかりませんが、右が故・ハーレー斎藤さんでしょうか。
少し閑話休題
ジャパン女子プロレスは、秋元康さんが関西弁かな?
いっちょかみしてて、最初はハレー彗星の接近からハレー斎藤ってリングネームを授けたんですけど、時期が過ぎてブームも終わりハーレーにしたって経緯がありました。
話を戻すと、当時クラッシュギャルズのピークの全日本女子プロレス略称=全女には対抗し切れず、悪戦苦闘します。
そして分裂してしまいます。
1つはJWP
そして画像のLLPWです。
ここから全女との対抗戦を仕掛け、格闘技にも進出していきますが、そこまでとなってしまいます。
引退選手の増加&新人育成が上手くいかず、現在は開店休業状態です。
それを招いたのが、風間さんの引退=報酬カットでしょうか。
それを招いたのが、記事の青字でしょうね!
女子プロレス的なスッピンな、北斗晶さん。
団体のプライドを賭けたターゲットに、髪を賭けてまで負けた風間さんです。
泣きながらも勇ましさを見せつけるものの、LLPWってこんなもん?
そう思わせてしまったのかな?
LLPWの旗揚げかな?
ウエディングドレスで入場して、プロレスと結婚って一言が響いた風間さん。
陰になり日向になり、LLPWと関わったことを我々同世代のプロレスファンは忘れません。
僕より年下の、ある程度の名の通った人が亡くなるってツライもんがあります。
天国でジャッキーさんやハーレーさんと、のんびりしてください!
つつしんでご冥福をお祈り致します。
ってことで今回はここまで!