私の周りの人達は、選挙は娯楽の一つだと弁えている人が多いです。

なぜなら自身の世界は、他の誰でもない自分が創造するしかないと理解しているからです。

ところが

もし社会レベルのこととはいえ、どこかの政党や政治家に「国を生活を人生を、何とかしてもらう」というベクトルを持つと

途端に依存心と他責思考に絡め取られ

ゆくゆくは自身を「無力」と貶めることに直結してゆくレールに乗ります。

どこかを熱狂的に応援することで、一時的には明るい可能性というか連帯感による万能感で意識が拡大したかのように感じるかもしれませんが

選挙という目的が終われば、大抵の人達は高揚感も雲散霧消するものです。

そしてほんの少し時間が経てば、すぐにこれまでと同じ日常がそこにあることに気づきます。

その時

ご自身の意識が拡大したでしょうか。
より自由自在に人生を創造できるようになったでしょうか。

たしかに選挙活動という経験によって、魂意識が拓けるトリガーを仕込んだ魂の方も少なからずいるとは思います。

そういう選択をされた方は、大いに意識が羽ばたくでしょう。

しかし、それ以外の方は

のめり込めばのめり込むほど、他党に対して憤ったり、疑心暗鬼によってしなくても良い心配をしたり、、

逆に意識が収縮し、無力感を強め、バーチャルへの没入が深くなるのではないでしょうか。

ようはディセンションの方向へ進んでいたことに気づくハズです。

では、私は投票に行かないのかと聞かれますと

行きます。

応援している人が1名いますので、その方に粛々と投票してまいります。

ただ、絶対にこうなって欲しい!みたいなアレはないので気楽です。

それは誰が当選しても、世界はなるようになるし、必要なプロセスをたどると理解しているからです。

なので

選挙に関わる盛り上がりを、お祭りのように見て雰囲気を楽しんで、リアル周りの人達と少し情報を共有しながら、投票という形で参加させてもらうというスタンスをとっています。

地道に自分に集中しながら、その自身の「映し」である社会を観察しつつ

意識拡大のキッカケを見つけるのが、宝探しのようで楽しいのです。