「失言」なんてのは、そもそも存在しないと私は思ってるの。
よく、どうしてあの時あんな風に言っちゃったんだろう?とか後悔したりするじゃない。
でもね、それは
「そんな風に言う必要があった」から、口が勝手に動くのよ。
逆から見ると
それを聞く相手は、そんな風に言われて「その言葉に反応する必要があった」から。
実に上手いことできてるのよ。
一ミリの狂いもなくね。
それは「何であの時何も言えなかったんだろう」ていう場合も同じこと。
「言えなかった」事によって、発展する何かがあるってこと。
こういうことは、クレバーに立ち回ろうとかいう思考次元より「上の階層」で起こっている事だから
それに逆らって
相手に「良く思われたい」「悪く思われて後々損をしたくない」クレバー面が強すぎると
ものすごく苦しくなって、冗談じゃなく息もできなくなってくるのよね。
いやホント、私もそういう旧時代的な「クレバー人」と一緒にいると、重苦しいし息が詰まってきちゃうしね。
だから安心して「上の階層」に委ねて言葉を放って大丈夫なのよ。
もちろんそこに、おかしな悪意が無い事が前提だけどね。
もし悪意マンマンだったら、隠さなくちゃいけないものね ( 隠せないけどね )
そうね、「上の階層」に委ねるのは悪意の無い人にしかできないわね。
たまに、ありのままの自分を出す意味をはき違えて
自由に悪意やイジワルを垂れ流すことで、呪詛返しで跳ね返って、勝手に撃沈する人がいるわよね。
でもそういう人は、そういう悪意チックな生き方を好きで選んでるのだから、それはそれで良いと思うわ。
なので
ある程度の心のお洗濯が済んでいる人なら、よっぽど大丈夫。
言いたいことは自由に出て行くままにこだわらずにね。
なぜなら
今の局面や
これからくる局面では
自分の魂の光に直結していた方が楽に乗り越えられるから。
損得勘定の思考で鈍らせると、光が届かないから。
だから自分自身を生きるためにも、これから特に大切になってくるのは
「誰にでももれなく自分の事を分かってもらいたい!」という色っ気を削ぎ落とすこと。
だってね
人ってのは
勝手に他人様を「自分の枠」にはめて
この人は好きだな~
あの人は苦手だな~
ってやってるんだから。
で、それはその人の
「自分の枠が反応してる」だけで
好かれたり嫌われたりする対象となる人には、全く関わりのない次元の話。
たいがい「その人の枠」にはまりきらないような人は、理解できないから拒絶反応が起こる。
だから
例えどんなにあなたが清く正しい行いで性格が良くても
例え何も悪いことを言ったりやったりしなくても
勝手に好きだと思われたり
勝手に嫌いだと思われたりする。
その事に対しては、こちらは介入できなくて、相手の自由なの。
ならば
こちらが「その人の枠」に合わせて
「枠の範囲内」で対応すれば
歓迎してもらえるのかって言えば
そうでもなく、逆に嫌われたりします(笑)
もちろん伝わりやすい表現をするのは親切だし大切だけど
こちらからわざわざ相手の理解できそうな範囲、つまり「期待値の範囲内」に縮こまると
途端にあなたはつまらない
ありふれた人になってしまうし
自分をも簡単に騙して、自分はありふれた人なんだと思い込んでしまう。
ホントは唯一無二なのにね。
そしてだんだん頭にはモヤがかかって魂の鋭い光が鈍っていく…。
これが一番こわいのよ~。
何年か前ならそれで良かったんだけどね、これからはそれが命取りなのよ。
鋭い上位次元の自分と繋がってないとグラグラのヘロヘロになっちゃう可能性よ。
だから自分の魂の光に直結するためにも
誰にも媚を売らずに
安心してのびのびと言葉を放っていきましょ~。
さて
一年前に買ったゼラニウムの小さな苗が
冬を越してとても大きく育ってくれて
なんと今日、初めてのお花が。
結婚記念日だった昨日の夕方に、蕾を見つけたから期待してたんだよね。
嬉しいな~ゼラニウムの香りって大好き。
そして結婚は26年目に突入。
いろいろあったけど
今にして思えばすべて必要な事じゃった。
ふぉふぉふぉ。
↓夕方さらに咲いてた😊


