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2023.1.4

 

須賀神社をあとにして5キロほど離れている剱神社へ

 

 

✨剱✨というだけで刀剣乱舞女子の娘の目は輝く👀✨笑

 

↓こういうのを調べて読んで萌えていた娘でした🤣(神社内に説明板が1つも見当たらなかったよ?)

 

 

 

 

祭祀の始祖は、筑紫の国造「田道の命」(考元天皇の五世の孫)で、筑紫物部を率いて神々 を祀ると云う。田道の命の橘孫「長田彦」が、神官となりました。 往古は「倉師大明神」と称えられ、年代は明らかではありませんが、六ヶ嶽の東嶺「天上嶽」に鎮座されていました。室町時代に入って足利義満は、高向兵部卿良舜を奉行とし 社殿を造営し奉りました。戦国時代には、龍ヶ嶽城主杉氏は、同社を粥田莊鎮守の宗社として崇敬し 社殿を「紫竹原」に遷座造営し熱田神宮より日本武尊を相殿に奉祀して「八劔大神」と称えました。江戸時代に入って、野火が入り社殿は焼失し、現在の「亀丘」に遷しました。藩主黒田長清が再造営しています。現在の社殿は、氏子中の奉讃により建立されたものです。

 

 

 

六ヶ嶽(直方市と鞍手町と宮若市の境)東の亀丘(かめおか)に鎮座し、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る「劔(つるぎ)神社」。この“劔”という名称は、3種の神器の一つ、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)にちなんだものと言われています。

天叢雲剣は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八俣(やまた)の大蛇(おろち)を退治し、その尾から取り出した剣であり、後に日本武尊の手に渡り、尊を祀る神社にともに祀られ、神社の名称に使われるようになりました。

筑紫の国造「田道の命(たじのみこと)」(考元天皇の五世孫)が祭祀の始祖であり、筑紫物部(ちくしもののべ)を率いて神々を祀ったと言われます。

古くは「倉師大明神」という社名で、六ヶ嶽の東嶺「天上嶽」にありました。室町時代に入って足利義満の命により、社殿を造営。戦国時代には、龍ヶ嶽城主杉氏は、同社を粥田莊鎮守の宗社として、社殿を「紫竹原」に遷し、「熱田神宮」(鞍手町)から日本武尊を相殿(あいどの ※同じ社殿に2柱以上の神を合わせて祀ること)に祀り、「八劔大神(やつるぎおおかみ)」としました。江戸時代に社殿が焼失し、現在の亀丘に遷り、藩主・黒田長清が再造営しました。

 

ホームページとWikipediaより。

 

 

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2021年に行ったときの↓

 

 

 

 

この木が無くなっていた悲しい 

 

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近所の店舗裏にて会合😆 4匹いました🐈🐈‍⬛🐈‍⬛🐈‍⬛

 

黒猫は柄がほぼ同じだから兄弟か親子か

 

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この子だけ人慣れしていてトコトコトコ…と寄ってくる

 

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君、きゃわぅい〜いねぇ!(古い)

 

 

 

新作。イヤリング

 

 

 

 
 
 
 
流れ星ピアス。星型のパーツの中に青瑪瑙をイン。スワロフスキーのカブリブルーの3ミリソロバン型をTピンで付けてユラユラニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

スワロフスキーの4ミリ ソロバン型

 

好きだな〜💖 スワロフスキーの輝き✨

 

ピアス、イヤリングどちらも対応出来ます

 

 

 

 

8色分作りました

 

 

 

ゆるりらマルシェに持って行きます花

 

 

2022.1.14(土)10時〜17時 1.15(日)10時〜16時

北九州門司麦酒煉瓦館

(門司駅から海側に200mくらい)

 

 

 

 

ちゅーことで🤚