まんじりともせず、明るくなるのを待って、ようやく、朝がきた。
朝、昼、夕と備蓄されていた食料や区役所から届いた食料が配給されるが、微々たるもので持ち込みの食料がなければとてもじゃないが、家族4人分にはならない。
非日常の体験に、そんなに空腹は感じないが、体力大事ととりあえず口に運ぶ。
午前中の何時ごろだっただろうか。新聞が本部に運びこまれるのを目にする。
しばらくして、入り口に貼りだされる。
その頃には荒浜の様子が周囲の様子から悲惨なことが何となくわかり、見にいくことがためらわれる。
まずパパが見にいき、午後になって意を決して見に行く。
ここで、初めて、これがただの宮城県沖地震でないことを知った。
見ていて涙があふれた。
新聞に掲載されている写真は、車で行けばわずか15~20分程度のところ。思い切り、生活圏内だ。
なのにこの差はなんだろう。
これが津波なのか。
涙は溢れるけど、あまりのギャップに現実感がわかない。
でも、今、命があること。
家族が一緒にいること。
家があること。
それがとれだけ幸せなことかは分かった。

家の中がぐちゃぐちゃなことと、ライフラインが全く止まっていること。子どもも怖がるし、情報もはいるから、もう一晩避難所に泊まろうとおもったが、
家も避難所もない方たちを受け入れると聞いたので、自宅に帰ることとする。
長女は怖がり嫌がったが、家があることがどれだけ幸せで私たち以上に困っている人たちがたくさんいるんだから助けあわないとと話し、もう日の暮れた真っ暗な中を自宅へ帰る。
急いで、一番早く片付きそうな子ども部屋のものを他にうつし、寝る場所を確保し、4人で寝る。

明日はどうなるのだろうか。