最初は照明で明るかった体育館も、時折発電機や配線の調子が悪く、暗くなる。暗いと気持ちも不安になる。
そんな中、余震は続く。たまに携帯のエリアメールが鳴り響き緊張が走る。
怯える長女に「大丈夫、何かあった時はパパとママが守るから」と何度も繰り返し、緊張で疲れたからか早めに眠ってしまう。
周りも小学生くらいの子は眠りが早かった。
21時頃には、寝る人もいるということで照明がおとされる。
ステージ上の対策本部や個人で持ってきたラジオが被災の様子を伝えているようだが、とぎれとぎれで聞こえない。
すぐ側の入り口からは一般の人や本部の人がひっきりなしに出入りし、そのたびに冷たい風が入り寒い。
外から入ってきた人の声がとぎれとぎれに聞こえる。
「荒浜はだめだ」「津波」「川をさかのぼった」「高速より向こうは」などの断片的な言葉が耳にはいる。
職場で駐車場に避難している時に津波警報が出たのは知っていた。でも、沿岸部の人は津波からの避難訓練もしていたしマニュアルもあったはず。そんなに被害が大きくなるとは思っていなかった。
この時点でも、まだ私はこの地震は近いうちに必ず起こると言われていた宮城県沖地震が気象庁の予測どおりに起きたものだと思ってた。
でも、津波が川をさかのぼった。ここは安全なの?広瀬川をさかのぼってきたら?そして決壊したら?
不安でますます眠れなくなる。
早く夜があけないかな。
こんなに朝を待ったことはない。
太陽の光を待ちわびたことはない。
私は、私たちはまだしらない。わすが数キロ先の沿岸部がどうなっているのかを。この一晩を冷たい海水につかりながら過ごした人がいたことを。小学校の屋上で震えながら救助を待った人がいたことを。
そして、これが宮城県や三陸だけの被災ではなかったことを。