大人だけど 自分の名前や アイコンに
ちゃんや、さんをつけたくなるとしたら
私はちょっと違和感を感じる
小さな子供だったら
まだ 意味がわからないから
他の人が呼ぶように
自分のことを ちゃんとか くん をつけて
呼んでしまう
幼さがあって
可愛らしくも感じられる
けれど立派な大人の場合は
あれ、、f(^^;と
ちょっと心配になる
大人になりきれていないのか
自分というもの を客観的に
見ることができていないのか
それとも 自分をそんな風に
子供のようにと言うか、
より大切に扱ってほしい
尊重して欲しいのか
いずれにしても
呼び捨てにされたくないという
何かがあるように感じる
呼び捨てだと
何かが足りないような
自分がちょっと痛いような
何か 不足が あるのかもしれない
そして逆に
呼び捨てにされたい
それによって相手と親しみと感じる 錯覚
私はむしろ こっちだった
アメリカ人みたいに ファーストネームで
呼び合うような
実際に親しいからこそ そういう風になる
いろんなことや 、いろんな時間を
共有したからこそ そこに至れるという
正式なやり方ではなくて
私は 短期間で一気に そこまで行きたい
そんな願望があって だから帰って
から回りする
一応 成功するけれど
でも少し経つと関係が壊れてしまう
終わってしまう
そんな 焦った やり方 の結末を
よく味わっていた
自分の名前に 君とか、ちゃんをつけるのと
本当に 対照的に
自分を呼び捨てで呼んでもらう
相手を呼び捨てて 呼びたいという
その焦りの心
一見 真逆だけれど
自分の心が未熟で幼い
何か ちょっと間違えているという意味では
とても似ている気がした