最初の同僚と私は
とにかく 考え方も心も違うので
普通に行ったら話が合わない
気が合わない
仕事においての立場が
自分の方が上
相手の仕事のミス、責任が
そもそも私に全部ある
そういったシチュエーション
だからこそ 私は マンツーマン マーク
ではないけれど
その人が大きな失敗しないように
毎日 相当 マークしてる気がする
とにかくミスをする可能性が高い
年を取って さらにその可能性が上がって
少しボケも入って
それでいながら 基本 自分は悪くない!
自分のせいじゃない!
何かや 人のせいにしてしまうという
たちの悪いところがある
仕事をちゃんやってないのに
やったよ!と 言い切れてしまう
それほど 自分のミスを認めるのが
この人にとってはありえない
あってはいけないことなのか
それとも強烈なまでに
下手に自信を持っているのか、、
確かに 首にしてしまえば楽だと思う
とにかく性格に問題がありすぎる
いろんな人と喧嘩になってしまう
なんでこの人を雇っているんだ、、
面倒見が良すぎるんじゃない、、か と
他の同僚たちに言われたことがあるけれど
毎年毎年 賃金の時給が上がって行って
そういう意味でも
基本 成長はしない この人を
雇うというのが
いつかギリギリになるのかなと
すでに 年齢的、体力的にも
引退の時期を過ぎたような
そんな人でもあるから
だから社長にしても
いい感じで納得して
卒業してもらいたいというのは
あるのだと思う
私もそこは同じ
いい感じで仕事の幕を閉じて欲しい
花道を飾らせてあげたい
というのはあるけれど
でも年を取って 謙虚になっていく
自分の衰え ボケ というものを分かって
むしろ 心が優しくなって
周りに優しくなっていく
そういう人だと
その人の力不足 ボケというものが
可愛く見えて
その人の謙虚な心とともに
周りの人と その人が
一緒に笑顔になれたり
新しい 幸せが生まれたりもする
でも 同僚の場合は残念ながら違って
まだそういう可愛らしさは
生まれていない
以前は 休憩時間 やお昼の時間を
みんなと一緒に過ごしていたのに
最近はそれらの時間を
どこか 自分の場所で
一人で過ごしている
私も みんなの会話に入らなかったり
一人で過ごしたりはするけれど
でも私の場合は 明確に
一人でやりたいことがあるから
そして私の話はこういう感じだから
職場の人たちには そもそも受けない
会話にならない
だから別に一人でいても
寂しいわけではないし
しかし、こんな風に
同僚の話をするけれど
仮に 私が 同僚を責める
それによって自分の心が楽になる としたら
これは何の問題も解決していない
単なる自分の心の苦しさを
紛らわせているに過ぎない
だから当然 わたしもその時は
良い顔には なり得ない
自分の心に見合った
嫌な顔になっている
それはちがうよ
未熟だよという 現れである