ドラマの中で
聴衆や国民を引きつけるような
その心に響くような演説の練習をしている
どのタイミングで
手をぎゅっと握るのか
うつむくのか 自然な感じで
沈黙したり、話し始めたり、などなど
確か ナチスのヒトラーも
そんな考えた 演説のテクニックを
使っていた気がする
原稿を読みながら しゃべるのと
紙を見ないで喋るのでは
確かに印象が違う
頭で喋ってるのか、
心で喋ってるのか の違いのように
でも たとえ
原稿を読んでいなかったとしても
その人が 姑息なことを考えながら
下手なテクニックを使いながら
やってるとしたら
そこにも 実際には
『ずれ』は生じていると思う
その人は、
心そのもので喋っている
無我無欲で本当に国民のこと、
誰かのことを思って喋っている
そんな志を胸に秘めているのだとしたら
鬼滅の刃の 煉獄 さんではないけれど
その人の心 そのものみたいなものが
雰囲気としてエネルギーとして現れる
その人の心、体、言葉
全てが一つになる
一体となるというのがあると思う
そういう意味で
心理的なテクニック
人間の心の微妙なコントロール
ではないけれど
目で見えるもの
表面的なものに惑わされる
人間の脳の影響 などなど
それは やはり 深くはないと思う
だからその人の姿を見ながらも
顔や言葉を聞きながらも
その人の心そのものを 見た時に
そしてその人の心と表情 言葉を
全部 眺めた時に
一致しているのか?
それとも ずれているのか?
バラバラなのか 不自然なのか
言葉と心が、ずれているのであれば
何かいろんな ポイントがあり、
チェックは可能かなと思う
やっぱり人間は、心でできている
自分の心を偽ることはできない
そういう生き物だと思う