たとえ 相手にとって

残酷に見えたとしても 


その人にとって 一見 

無意味に感じたとしても 


でもそこにも私は

何か意味があると思っている 


自分がそんな風に

記憶がなくなっていってしまう

自分でもわからなくなってしまう


自分の大切な人が

 悲しい気持ちになりながらも

 泣きながらも 

自分に関わってくれる


 人間の心というのは

そんな全ての瞬間を

 私は 記憶している 


録画ではないけれど 

心で全部 記憶しているという風に

思っている


 だから当然 後になって

今回の自分の人生が終わった時にでも

それを振り返ることができる


 第三者として 

ドラマや映画の様に、


病気で 自分の記憶が薄れていく 

自分の大切な人が悲しんでいるという

 そういうシーンを 全部の瞬間

 振り返ることができるとしたら


 それでも相手は 自分 に

ちゃんと関わってくれた 

どうにもならない病気になっても

 変わらぬ心で 添い遂げてくれた 

世話をしてくれたとしたら


何とも素敵な愛だと思う 

二人の関係 だと思う


 自分はその時 

わからなかったとしても 


でも後になって

 そんな相手の姿を見た時に

 心の葛藤を抱えながらも

 変わらぬ配慮を示し続けてくれたとしたら 


これは何とも

心が感動の涙で

溢れてくるのではないだろうか 


そういった意味で

 記憶がなくなっていく最後の日々が

無意味ということはありえない