私が親で 自分の子供に

ヤングケアーをやってもらうとしたら


 私の理想は ヤングケアラーにさせないこと

 子供には子供の人生があるのだから


 私のために犠牲になるというのは

もっての他である


それは自分が子供だったとしても

 親だったとしても同じだと思う


 子供が親の犠牲になってはいけない 


親は子供を

犠牲にしてはいけないという

基本的な心得の問題だと思う


過保護になってはいけない 

放任でもいけない


親だろうが 子供だろうが 

自分ができることを 甘えてはいけない


 親だろうが 子供だろうが

 自分一人でも生きていける

 そんな人間になるというのが

一つの人生のテーマである 


だから親は子供が

一人でも生きていけるように育てる 


それが 親の役目 


そして子供は子供で

自分が1人でも生きていけるように 


 親がいなくなっても 生きていける

 それが子供が

大人になっていくということ


 そして親もまた

自分が生きていようが死んでいようが


子供がちゃんと

1人で生きていくように育てる

 教えるというのが 

親の 子育ての最大のテーマである


 だから自分が親だったとしても

子供だったとしても

その立場が違うだけであって


目的としてること

 テーマとしては同じである 


だから ヤング ケラー だったとしても 

その親子がいかに それを考えるのか

 どう扱うのか?


その ど真ん中にあるものは

そういうものである 


そしてそれが ちゃんと

親子の未来や笑顔や 幸せにつながっていく


プラスなものに ちゃんと繋がっていく 


そして、反対に

 双方を不幸にしているとしたら


明らかに何か大きな間違いを

やっているということ 


ヤングケアラー が親子にとって

マイナスに作用しているとしたら


それは単に何かが違うのだよと

教えてくれているのである