せっかくの苦労が 水の泡、

 一見、 台無しのように見えるけれど


 でも自分が 一生懸命 頑張ったという

 その『時の流れ 』

自分の思い 、そういったものが

0 になるわけではない


 そういう意味で

 穴を掘って埋めてを 繰り返すにしても


 自分が一生懸命やったものが

 全部 台無しになったとしても 


それでも自分に

何も残らないわけではない 


目に見える形で 

残っていないだけで

 実際には いろんなものが

自分の心の中には 、

心のメモリーの中には残っている 


自分が本気で それをやったのであれば

 一生懸命 何かに 打ち込んだのであれば


 それが無駄になるという事は

 有り得ない!


 そういう意味で

 水の泡というのも

 意外と表面的な事なのでは

ないだろうか?


自分のミスによって

そうなったとしても


 誰か 問題のある人によって

ぶち壊されてしまったとしても


 自分が本当に 心を込めて

 過ごした時間、 積み重ねたものというのは


 実際には なくなったりは

しないのだと思う


 だから 積み重ねた時に

 ちゃんと それが活かされている

 経験になって 自分の実力になって


 ぶち壊しになった、ぶち壊された

 その事すら、 その相手すら

 いずれは 感謝できる時が来る 


一つ一つの出来事は

 嫌な相手だったとしても

 必ずそこには 学びがある


 自分が それだけ苦しい思い

 辛い思いをしたのであれば 

当然 それに匹敵するだけの

 素晴らしいものが そこにはある


 だから私が、今 感じるのは 

 水の泡というのは

 実際には、有り得ないのではないか?

 という事